新型コロナが中国から西欧、中東に拡大した道
◇シリーズ・新型コロナ世界流行の謎にせまる【2】
本シリーズは、新型コロナウイルス感染症(以下、新型コロナ)の流行発生から世界拡大した最初の1年間をふり返りながら、近年まれにみる大流行が生じた原因を解き明かすことを目的にしています。第2回は中国で発生した流行が西欧や中東に波及し、そこでパンデミック(世界流行)に発展する大規模な流行が生じた経緯と、その背景にある社会状況を解説します。【東京医科大学病院渡航者医療センター客員教授・濱田篤郎/メディカルノートNEWS & JOURNAL】
◇新たな流行の震源地
中国で発生した新型コロナの流行が最初のピークを迎えたのは2020年2月中旬のことでした。その後、中国国内での流行は収束に向かいますが、この時点でウイルスは世界各地に拡散していました。こうしたウイルスの飛び火した国の中でも、イタリアとイランでは患者数が急増し、新たな流行の震源地になります。この震源地から西欧や中東に広がった流行が、パンデミックへと拡大していくのです。
◇イタリア北部での患者数急増
イタリアで最初の新型コロナ患者が確認されたのは2020年1月30日のローマで、中国からの旅行者でした。その後、2月中旬から、北部のロンバルディア州(州都ミラノ)やベネト州(州都ベネチア)で中国に渡航歴のない患者が多発します。このときまでにイタリア北部では、新型コロナの国内感染が発生していたと考えられます。 患者数の急増に伴い医療機関には多くの受診者が殺到し、検査や治療が追いつかない状況になりました。高齢者を中心に死亡する者も多発し、いわゆる医療崩壊が進行していったのです。この事態にイタリア政府は北部地域の封鎖を行いますが、流行は国内全域に広がり、3月10日には全土をロックダウンするに至りました。3月中旬までにイタリアでは、4万人以上の新型コロナ患者が発生し、中国を上回る3000人以上が死亡していたのです。
◇イタリアと中国の深い関係
イタリアでは北部を中心に1990年代から中国人労働者が増加しており、その数は2010年代には30万人以上に達していました。イタリアのファッションブランドの縫製は、中国人労働者に依存しているとまで言われたほどです。さらに、イタリア政府は2019年3月に、中国政府が推進する巨大経済圏構想「一帯一路」に、G7加盟国として唯一参加することを決めており、両国の経済関係は強化されていました。これに伴い、イタリアを訪れる中国人観光客数も急増し、両国の人的交流はさらに活発になっていたのです。 こうした状況のなか、中国で発生した新型コロナがイタリアに波及することは十分に予想されました。イタリア政府も水際対策を2020年1月下旬から強化していましたが、中国とは地理的に離れていたことから、これ程の大流行になるとは想定していなかったようです。