新型コロナが中国から西欧、中東に拡大した道
◇ウイルスに変異が起きていた
このように中国からイタリアに流行が飛び火した背景には、両国の深い関係があったわけですが、患者が急増した原因にはウイルスの変異も挙げられます。 イタリアで流行した時点の新型コロナウイルスを解析すると、武漢で拡大を始めたウイルスに比べて、スパイクタンパクにD614Gと呼ばれる変異が認められました。この影響によりウイルスの感染力が強くなり、その結果として、イタリアで急速に患者数が増えていったのです。 では、このD614G変異はどこで発生したのでしょうか。当初はヨーロッパと考えられ、このウイルスを欧州株とも呼んでいましたが、最近では中国で変異したとする説が有力になっています。
◇イタリアから西欧への拡大
3月に入るとイタリアでの流行は近隣の西欧諸国にも波及していきました。これに関与したのが、2月に西欧各地で開催されたカーニバル(謝肉祭)です。 カーニバルはキリスト教徒(特にカトリック)の祭典で、ブラジルのリオが有名ですが、イタリアのベネチアでもコスプレ大会をすることで、ヨーロッパ各地から多くの観光客が訪れます。2020年のベネチアでのカーニバルは2月8日から25日と、まさにイタリアでの流行が拡大する時期に重なりました。このため、23日に急遽終了になりますが、このときまでにベネチアには、世界中から多くの観光客が訪れていました。 こうした観光客が、イタリア国内はもとより、母国に新型コロナを持ち帰ったのです。これが3月以降、西欧諸国で流行が急速に拡大した一因となり、その流行は5月末まで続きました。
◇中東ルートはイランから
イタリアとともに、新型コロナの流行が急拡大した国がイランでした。 2月19日、同国北部にあるイスラム教の聖地ゴムで患者が発生し、その後、3月下旬までにイラン国内では3万人以上の患者が報告されました。イランは欧米諸国による経済制裁下にあり、中国との関係を強化していたことが、早期に流行が飛び火した一因と考えられます。その後、イランでの流行はイスラム教の礼拝などを介して、国内に広くまん延していきました。この結果、イランが中東における新型コロナ流行の震源地となり、周辺諸国に拡大していきました。