「プロ野球90年」映画監督の周防正行さんが語る球史の分岐点 「巨人中心主義からファンのものへ。2004年のストライキが決定的だった」
発足から90年を迎えたプロ野球への思いを聞くインタビューシリーズ。「Shall we ダンス?」などで知られる映画監督の周防正行さんは、前身の国鉄時代からという筋金入りのヤクルトファン。2004年のプロ野球選手会によるストライキが持つ意義を熱弁した。(聞き手 共同通信・河部信貴、児矢野雄介) 【写真】大谷、132億円で13位 世界のアスリート長者番付
▽金田移籍でスワローズファンに 幼稚園に入るか入らないかぐらいの頃に、もう近所のお兄ちゃんたちと三角ベースみたいなことをやっていた。時代ですね。あの頃の子どもたちの王道ですよ。 父が国鉄職員だったので国鉄スワローズというチームがあるのは知っていたけど、はっきりとファンになったのは小学2年生の時。金田正一さんが巨人へ移籍した。弱い球団を捨ててジャイアンツへというのがすごいショックで、もうスワローズを応援するしかない、僕がスワローズのエースになって優勝させるんだって思った。金田に見捨てられたスワローズを応援するというのが、ファンになったきっかけです。 「職業野球」から始まったプロ野球は巨人が引っ張ってきた。王貞治さん、長嶋茂雄さんという大スターがいて、巨人中心で発展していかざるを得なかったというか、多分それしか道がなかったと思うんですね。毎晩テレビで巨人戦が中継されていて、巨人ファン養成システムのようで、それが強烈だったから僕はアンチ巨人になった。今のように12球団のファンがいるというより、巨人ファンとアンチ巨人しかいないと言っても過言じゃない時代。スワローズが好きなのに、ジャイアンツの選手の方が詳しいって屈折しているじゃないですか。
1978年のヤクルト初優勝の瞬間は見に行かなかった。だって、巨人戦じゃなかったから。堀内恒夫さんが投げる巨人に勝って決めなきゃ真の優勝じゃないと思っていた。ここら辺にジャイアンツの影響があるんですよ。今だったらそんなことは気にせず、どこに勝って優勝してもいいんですけど。 ▽プロ野球はファンのもの 自由競争で選手を獲得していた時代から、ドラフト会議が始まり、江川卓さんが制度の盲点をついて巨人入りした「空白の一日」事件などいろいろな出来事があって、徐々にこのまま巨人にぶら下がっている野球界でいいのかという雰囲気が出てきた。それが決定的になったのが、2004年のストライキだった。 あのときに巨人オーナーのナベツネ(渡辺恒雄)さんは、球団を減らし1リーグ制にしようとして、古田敦也会長率いる日本プロ野球選手会が話し合いをしたいと言ったときに「たかが選手が」と排除した。あれが決定的だった。プロ野球を広く認知してもらうために巨人はすごく努力して貢献をしてきたけど、その巨人中心主義が行き詰まった中での最後の悪あがきが1リーグ制構想だったのでは。