樋口恵子 段差を飛び越えられる「はず」。体が覚えている「はず」…<体が変わっても頭と気持ちは若いときのまま>のギャップが悲劇を生む
◆「はず」には十分気をつけて 50代~60代といえば、まだ若い。でも、その頃から油断は禁物です。 知人のなかに、駐車場を出るとき「昨日までなかったはず」の、ポールとポールの間の鎖に足をとられて転んだ人がいますが、この「はず」が、クセモノなのです。 私の体験では、講演会の壇上で、動かない「はず」の机が実は可動式だったことがあります。手をついたとたん動きだし、とっさにつかまった椅子がこれまた可動式で、そのままスッテンコロリン。大勢の人が見守るなか赤っ恥をかきました。 両手いっぱいの買い物袋を抱えて、急いで玄関で靴を脱いだ「はず」……だったのに、片方がまだ脱ぎきれてなくて上がりかまちにひっかかり、そのままつんのめって転んだこともあります。 このくらいの段差は飛び越えられる「はず」。 いつもの階段だから、暗くても体が覚えている「はず」。 この手の「はず」には、十分気をつけなければなりません。 老いのとば口では、「こんなはずでは!」の出来事がよく起こるもの。体は変わりつつあるのに、頭と気持ちは若いときのまま。そのギャップが悲劇を生むのです。 何ごとも急がず慎重に、が大事です。出かけるときは、時間に余裕をもちましょう。駅の階段を歩くときは、できるだけ手すりのそばを。バッグのなかの財布を探しながら、携帯電話でおしゃべりしながらなどの「ながら歩き」はやめましょう。ドアが閉まりかけた電車に走って飛び乗ろうなど、もってのほかです。
◆理由なき転倒 よく転んだ私ですが、60代、70代の頃の転倒には「急いでいた」とか「床がツルツルだった」「出っ張りがあった」など、ちゃんと理由がありました。 ところが、さらに年を重ねると、やってくるのが理由なき転倒です。 「90歳くらいになると、ただ立っているだけで、ふわーっと転ぶことがあるんですよ」とおっしゃったのは、女性政治家の草分け加藤シヅエ先生です。 そのお話を聞いたとき、私は70代。正直、そういう場面を想像できませんでした。 しかしながら、ついに私もそれがわかる年頃になってしまいました。 あるとき、玄関に立っていたら、本当にふわーっと倒れたのです。 べつに段差につまずいたわけでも、スリッパを踏んづけてすべったわけでもありません。偶然目撃した助手によりますと、突然全身の力が抜けたようにグシュグシュグシュとくずおれたそうです。 いくらふわーっとでもグシュグシュでも、体重の重みで勢いがついて床に叩きつけられれば、大ケガにつながることもあります。 私の場合、幸い骨が丈夫なのか、若いときの転倒も含めて骨折したことはありません。ただ、打ち身、擦り傷、青あざとはすっかりおなじみです。 理由がないので、注意したくてもしようがありません。でも、ヨタヘロ期にはこのような未体験の出来事も起こるのだと心におとめおきください。 ※本稿は、『人生100年時代を豊かに生きる ヨタヘロしても七転び八起き』(ビジネス社)の一部を再編集したものです。
樋口恵子
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