【「エターナルメモリー」評論】心のトリートメント、心を手当てするということ
「戦場では夜の煙草は御法度だ。B29は赤い点を見つけたら容赦なく爆弾を落とす。だから敵機が行き過ぎるまでじっと我慢する」。これは学生時代にバイトで知りあった零戦乗りだったという人の言葉だ。空の敵は煙草の小さな灯を認識できると断じた彼は、「薬も包帯もない状況で傷ついた兵士や痛みを抱えた仲間に何ができるか」と尋ねた。黙っていると「傷口に手を当てる」のだと続け、「手のひらの温もりで痛みを和らげる。そのことを手当てと言うんだ」と教えてくれた。 前振りが長くなってしまったが、「永遠の記憶」と題されたこの作品を観て最初に浮かんだ言葉が「心のトリートメント」だった。「心を手当てする」と言い換えても良いかも知れない。 チリでジャーナリストとして活躍した夫アウグスト・ゴンゴラと、舞台、映画、テレビで活躍した女優で、母国で女性初の文化大臣となった妻パウリナ・ウルティア。運命的に結ばれたふたりは、共に暮らした家で生涯変わらぬ愛を育み続けてきた。ピノチェトの軍事政権下、報道することで民衆を励まし続けた彼は、民主主義国家となった後は文化を伝えることを自らの使命とした。その活動は歴史を俯瞰し、未来へとつなぐ2冊の本にまとめられチリ国民の未来への指針となった。知は人をつなぎ、教養は人を育てる。伝承が人の成長を促し新たな未来に向かわせる。だからこそ今がある。彼の果たした功績は決して小さくはない。 聡明で闊達、行動的な彼が病魔に冒された。アルツハイマーである。記憶が損なわれる病によってふたりの生活は大きく変わる。舞台稽古するパウリナの仕事場にアウグストがいる。患者が介護者の生活に溶け込んでいる。見たことのない光景を目にした「83歳のやさしいスパイ」(2020)のマイテ・アルベルディ監督は、ふたりの姿を映画にするべきだと感じた。最小限のクルーで撮影を始めた後、世界をパンデミックが襲った。外出することもままならず、誰かと気軽に会うこともできない。そんな時はパウリナがカメラを固定し、眠りにつく前のふたりのやりとりを撮影した。 この映画は、心を手当てすることの大切さを教える。心に手のひらを乗せてその温もりで包み込む。常に愛と尊敬をもって、決して慌てることなく、彼の心がこちらを向くのを待つ。苛立つこともあれば、鬼に睨まれた子どものように振る舞うこともある。彼女の仕事場で軽やかに踊るかと思えば、書斎の中から自分の本が消えたと狼狽える。何が飛び出すか、その時にならないと分からない。予測不能な夫の振る舞いに、妻はいつも笑顔で応じ、まるで初めて出会った時のように彼に向き合う。 時に労り、時に励まし、時に穏やかに諭す。自分の記憶は彼のためにある。彼女は最愛の人のために時間を忘れたかのように、じっと耳を傾け見つめ続ける。寛容の精神、尊敬の念、そして純粋な愛。パウリナが見つめた先で無邪気に振る舞うアウグスト、ふたりの微笑みが心に焼き付く。 (髙橋直樹)