「ソガ・ヒトミ」その存在に驚愕した日本政府 曽我さんは自責の念を抱えて帰国した 「若い人にこそ知ってもらいたい拉致問題」(後編)
拉致問題を多くの人に知ってもらうために続ける講演や、報道陣の質問に対する曽我さんの語り口は、つねに穏やかだ。ただ一向に進展しないことへの焦燥感、落胆、怒りは隠しきれない。 その思いは、両国の政府にも向けられる。 曽我さんは帰国前、北朝鮮政府は「朝鮮語が話せるようになったら」「結婚したら」と期待させ、幾度も裏切られてきた。帰国後、日本の首相は何度も変わり、その都度「拉致問題は最重要課題に位置づけている」との言葉を聞いたが、目に見える進展はない。 今年7月5日、曽我さんは東京で岸田文雄首相と面会し、こう訴えた。「母は今どうしているのだろうと思うほど胸がいっぱいになる。もう家族のみなさんは耐える気力もなくなるくらいに本当に疲れている。それを必ず会えると思いながら毎日生活している」「日朝のトップ会談を1日も早く実現させて、向こうで家族に会いたがっている皆さんを全員取り戻して、家族のもとで楽しい生活ができるようにしてほしい」
面会後の取材では心情を吐露した。「もう45年という、本当に半世紀近い時間がただただ過ぎてしまっているように感じている。そのことを踏まえてもそうだが、横田滋さんがお亡くなりになり、本当にたくさんの親世代の方がお亡くなりになってしまった。本当にそういうことを思うと心が痛みます。なので、私が普段できること、署名活動であったり、講演活動であったり、それだけでは、まだまだ足りないような気がする」 高齢化する被害者家族を気遣いながら、自身が被害者として、被害者家族として。曽我さんはこれからも、前面に立ち問題を伝え続けていく。 【取材後記】 曽我さんが母ミヨシさんとともに拉致され、再会を果たせないまま45年の歳月がたってしまった。私は曽我さんの講演や署名活動を取材するために新潟県佐渡市へ通い、帰国からの20年をどのように過ごしてきたかをたどった。 取材し、原稿を書く中で上司とは何度もぶつかった。「これは知ってもらう必要がある話だ」と思っても、デスクから「みんな知っている話だから、他の話を書いたらどうか」という指摘が入る。意見が食い違う原因は、世代にあるのかもしれない。