監禁や虐待でいくつもの家族を隷属させた「尼崎事件」の悪夢…元高校球児はなぜ「角田美代子」の“暴力装置”となったのか
身内にも徹底されたアメとムチの手法
ここで言う「ヤクザのてっぺん2人」については、翌13年9月27日付の供述調書に、 〈美代子の口から「ウチには五代目の『ナベ』や『宅ちゃん』がついている」「ウチが呼んだらいつでも来てくれる」等と言われ、私は怖くなり美代子に逆らえなくなり、美代子の言うとおりに従って行くようになりました〉 とあり、いずれも五代目山口組の渡辺芳則組長と宅見勝若頭(当時故人)を指していると思われる。 ターゲットに用いてきたアメとムチの手法は身内にも徹底され、恐れをなした正則はファミリーの「暴力装置」に転じていく。 〈何かヤバいことをする時は、美代子は角田の家族の中でも、私だけを呼ぶことがほとんどです。私は背中に入れ墨を入れていますし、体格も大きく、美代子はいつも私のことを相手に、この子はヤクザやと紹介していました〉(12年11月5日付) *** 美代子の言葉を疑わず、従順な“暴力装置”となった正則。第2回【親族の男女に“行為”を強要、服を脱がせて“水攻め”に…尼崎事件の主犯・角田美代子がいくつもの家族を破滅に追い込んだ戦慄の手口】では、他人の家族を乗っ取った実際の手順や壮絶な虐待について伝える。
デイリー新潮編集部
新潮社