監禁や虐待でいくつもの家族を隷属させた「尼崎事件」の悪夢…元高校球児はなぜ「角田美代子」の“暴力装置”となったのか
記事を見た瞬間、頭が真っ白に
今回、初期の段階で警察官によって作成された複数の供述調書と、正則の直筆による「自供書」を入手した。それらの文面からは、美代子とそのファミリーによる極悪非道の所業が、生々しく迫ってくるのだ。 尼崎の民家で遺体掘り出しの捜索が始まってから2週間余り。12年10月30日付の供述調書では、Kさんの事件で神戸刑務所に収監されていた正則が、初めて「大量致死」を認め、 〈地中から3人の遺体を発見したことで、世間が大騒ぎになっていることを拘置所の新聞を読んで知りました。(中略)記事を見た瞬間、頭が真っ白になりました。(中略)もう隠し通せないことは分かっています〉 〈全ての事件に関して、角田家のトップに君臨している角田美代子の指示で行われていることは間違いありません〉 〈(一連の事件は)財産を奪い取るため〉 などと供述していたのだった。
山口組系暴力団事務所に出入り
在日韓国人の母親のもと尼崎市に生まれた正則は、父親の顔を知らぬまま母方の祖母に育てられた。野球特待生として進学した香川県の高校で甲子園を目指していたところ、無免許運転で自主退学となり、転校を余儀なくされる。 卒業後は尼崎に舞い戻り、「住友金属」の工場に勤務。そして母親や継父から、給料の無心はおろか消費者金融への借金まで強要されるうち、転げ落ちていった。 97年には覚せい剤事件で逮捕され、少年刑務所に服役。出所後は地元の山口組系暴力団事務所に出入りするようになり、同じ頃、背中に龍の入れ墨も彫っている。 その後は溶接工などを経て、27歳で結婚。が、前後して今度は母親が覚せい剤事件で服役することに。その間、継父から美代子と内縁の夫・Aを紹介されたのが運のつきだった。以来、硬軟織り交ぜた術にからめ捕られていく。
「これはヤバいな」って思いました
美代子が、服役中の正則の母親の面倒を見るよう正則夫妻に難癖をつけ、言い合いになった時の口上は、12年11月5日付の供述調書に綴られている。 〈「お前らただでおかんからの。お前どこの代紋やねん」「そんなん、へのカッパじゃ」と凄い剣幕で〉 〈「誰に電話して欲しいんや。古川か。うちが電話したら終わりやで」「後戻り出来へんで。ここらへんにおれると思うな。どうすんねや」と凄んできました。古川というのは、尼崎市内に事務所を構えている山口組系古川組の親分のことだとすぐにわかりました〉 ほどなく懐柔された正則は、美代子ファミリーと共同生活を送るようになり、 〈「あんたゴン太してたな。調べさせて貰ったで」と言い、本当にあった私の色々なことを知っていて、ヤクザの名前は出てくるし、頭の中で「これはヤバいな」って思いました〉 〈そうすると美代子は「ウチに来る限り、ウチが全責任を持つ」と言い、その言葉に私は「オーええがな」と美代子に頼もしさを感じてしまったのでした〉 〈ヤクザのてっぺん2人も知ってるし、無敵やんけ。と思ってしまったのです〉(すべて11月5日付)