監禁や虐待でいくつもの家族を隷属させた「尼崎事件」の悪夢…元高校球児はなぜ「角田美代子」の“暴力装置”となったのか
2011年11月26日、同月初旬に兵庫県尼崎市で見つかったコンクリート詰めの遺体をめぐり、5人の男女が逮捕された。この5人に主犯が含まれていたことが端緒となり、翌12年10月に発覚したのが「尼崎事件(尼崎連続変死事件)」である。複数の家族に“介入”し、監禁や暴力、虐待で次々と命を奪った主犯は角田(すみだ)美代子。12年前のこの時期は、あらゆるメディアがこの事件を盛んに報じていた。 【写真10枚】派手すぎる柄のソファに鏡張りの廊下…「角田美代子の自宅」衝撃の内部 だが同年12月12日、美代子は留置所で自死した。当時64歳。報道によれば、美代子は10月下旬頃から希死念慮を訴え始め、再逮捕後から取調べにほぼ応じず、供述調書も作成されていなかったという。一方、美代子が作り上げた血縁関係のない「角田ファミリー」は、事件の共犯者として取調べに応じていた。 2015年11月、「週刊新潮」はファミリーの“暴力担当”で、美代子の義理のいとこにあたる李正則(2011年11月の逮捕時は37)の供述調書を入手。そこには極悪非道の所業と、戦慄の人心掌握術が記されていた。 (全3回の第1回:「週刊新潮」2015年11月19日号「殺戮の女帝『角田美代子』暴力担当の供述調書120枚!」をもとに再構成しました。文中の年齢、役職等は掲載当時のままです) ***
“右腕”として美代子を支えた男
8人の命が奪われた一連の「尼崎事件」は、依然5人以上が行方不明のまま、2014年3月に捜査が終結。主謀者の角田美代子も12年暮れに留置場で自死を遂げ、真相は闇に葬られたかと思われた。が、その“手はず”は辛うじて残されていたのだ。 共犯者らの裁判が続く中、10月8日には“右腕”として美代子を支え、3件の殺人罪を含む最多の10の罪で起訴された「マサ」こと李正則に、検察は無期懲役を求刑。法廷で本人は、170センチそこそこながら100キロ近くありそうな体躯を縮こめるような素振りをみせ、色白の顔には疲労がくっきりと滲んでいた。 そして11月13日に神戸地裁で開かれた判決公判では、平島正道裁判長は検察の求刑通り無期懲役を言い渡した。(補足:2018年3月、最高裁第2小法廷は李正則被告の上告を棄却。無期懲役が確定) 11年11月、尼崎市に住む女性・Kさん(享年66)の死体を遺棄した容疑で美代子らとともに逮捕された正則は、当時の取り調べでは最小限の供述しか残していなかった。が、他の共犯者が一連の事件を自白し、遺体発見によって犯行が次々と裏付けられていく局面を迎え、ついに「落ちた」のである。