『古今和歌集』の撰者、紀友則の百人一首「ひさかたの~」の意味や背景とは?|紀友則の有名な和歌を解説【百人一首入門】
紀友則、ゆかりの地
紀友則は、生没年も不詳でその生涯は謎に包まれています。彼は40歳を過ぎるまで官職に就けず、不遇の時代を過ごしていました。しかし、その後、土佐掾(とさのじょう)という、土佐の国司の役職に任じられます。ゆかりの地として、土佐を紹介します。 ◆土佐(今の高知県) 友則が土佐掾に任命された背景には、藤原時平(ときひら)の尽力があったとされています。時平は、友則の才能を認め、彼がふさわしい役職に就けるよう助けた可能性が高いと考えられます。土佐は紀友則にとって、ようやく花開くように活躍の場を得た地であり、彼にとっての転機となりました。その後、さらに内記(ないき、宮中の記録を司る役職)も得て、和歌や文才を発揮していきます。
最後に
紀友則の花が散る様子に心を揺さぶられる気持ちは、時代を超えて私たちの心にも響きます。皆様にも、このような和歌を通じて日本の自然や心情を再発見していただき、日常の中での感慨を深めていただければと思います。 ※表記の年代と出来事には、諸説あります。 引用・参考図書/ 『日本大百科全書』(小学館) 『全文全訳古語辞典』(小学館) 『原色小倉百人一首』(文英堂) アイキャッチ画像/『百人一首かるた』(提供:嵯峨嵐山文華館) ●執筆/武田さゆり 国家資格キャリアコンサルタント。中学高校国語科教諭、学校図書館司書教諭。現役教員の傍ら、子どもたちが自分らしく生きるためのキャリア教育推進活動を行う。趣味はテニスと読書。 ●構成/京都メディアライン ●協力/嵯峨嵐山文華館 百人一首が生まれた小倉山を背にし、古来景勝地であった嵯峨嵐山に立地するミュージアム。百人一首の歴史を学べる常設展と、年に4回、日本画を中心にした企画展を開催しています。120畳の広々とした畳ギャラリーから眺める、大堰川に臨む景色はまさに日本画の世界のようです。
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