「何者かになるまで帰れない」生き残りをかけた元宝塚・愛華みれの研究科での奮闘「批判は毒ではなく、特効薬だととらえて」
そんなときは同期と励まし合ったり、ときには山に登って「わー」と叫んでリフレッシュしたり。タカラジェンヌの先輩方の自伝を読み返して勇気をもらうこともありました。「錦の御旗を上げるまでは」という気持ちも強く、簡単に故郷には帰れないと思っていたんです。 当時、厳しく指導してくださる先輩方もいましたが、「自分のために貴重な時間を割いてつき合ってくれている」と思うと、心から感謝の気持ちが湧きました。今ではその先輩方とも笑い合える仲です(笑)。なかには「あなたは素敵なスターになりなさいよ」と言って退団されていく先輩方もいて、「私がその方たちが果たせなかった夢を引き継いでいこう」と身が引き締まる思いでした。とにかく「何者かになるまでは」という思いが強かったです。
■勝ち負けが明確に見える世界で ── そこから花組のトップスターへと駆け上がっていかれたわけですね。 愛華さん:振り返って見れば自分でも華やかだなと思いますが、本人としては無我夢中です(笑)。私は初舞台から退団まで、ずっと花組なんです。宝塚歌劇には、花組、月組、雪組、星組、宙組とそれぞれにカラーがあって、ほかの方は複数の組を経験しながら成長していく人が多いんですが、私はほかの組を知らない珍しいパターン。だから、のちに「花組色満載の人」と言われましたね。
劇団からは「花組が人気があるときは宝塚が栄える」と教わってきました。実際、花組の男役は他の組に移ってもスターとして活躍していますし、お互いに切磋琢磨してきたメンバーものちにほかの組でスターになっていって。けれど、一緒にライバルとして競い合っていた時期は毎日が本当に大変でした。宝塚の世界は、明日はどっちが上がるか、どっちが落ちるかと目に見えて自分のポジションがわかるんですよ。 ── 勝ち負けがはっきりしていると。
愛華さん:ええ。たとえば「舞台衣装の右肩に金色のキラキラがついている、私にはついていない」「左肩に羽がついている、私にはついていない」って。それによって自分が今、どの位置にいるのか、どこを目指して努力しなければならないのか見えるんです。特に花組のトップだった大浦みずきさんの時代は、ダンスを極めることが求められて。振付の先生に「ダンスが踊れない人たちは人間じゃない」と愛情ゆえの厳しいお言葉も(笑)。大浦みずきさん、安寿ミラさん、真矢ミキさんといった素晴らしいダンサーたちに囲まれながら、同じレベルで踊るわけですから、私にとっては「ひゃあ」なんです。