日本三大奇祭「御柱祭」は本当に“奇妙”な祭りなのか?
祖先との絆と時代による変化
諏訪大社は日本最古の神社の一つだ。御柱祭の起源も古すぎてはっきりしない。一説には、1200年以上前から原型があったと言われる。こういった情報だけに触れていると、御柱祭は古式蒼然としたプリミティブな祭事だとイメージしがちだ。しかし、実際に上社の「山出し」を見れば、時代に合わせて変化している面があるのは一目瞭然だ。
例えば、曳き手を鼓舞する伝統の木遣り(きやり)唄と併せて、曳行中は高校野球の応援のような鳴り物の演奏が繰り広げられる。「木落し」や「川越し」の前に、観衆を意識して氏子ごとのキャッチフレーズが書かれた横断幕を掲げるというトレンドもある。今年は、「川越し」で裸で川に入る前に、オールブラックス(ラグビー・ニュージーランド代表)ばりに、同国のマオリ族伝統の踊り「ハカ」で気合を入れる若者たちの姿も見られた。こうした余興的な要素は、昭和以降に現れたものだ。
好感を持ったのは、そうした新しいもの、時代に合わせた変化を「けしからん」と排除する頑固さを、現場にいる限りではほとんど感じなかったことだ。ベテランの氏子たちも、むしろ喜々としてそれを受け入れているように見えたし、一方で、老いも若きも入り乱れて古いしきたりを守るこの祭事に参加している。
御柱は、決して形骸化した観光メインの行事ではなく、僕のような移住組にも門戸が開かれた脈々と続く「生きた祭り」なのだ。ある地区は「世代を超えた絆」をキャッチフレーズに掲げていたが、これは今を生きている世代だけでなく、古(いにしえ)の祖先との結びつきをも意識した言葉なのだろう。
「式年造営」のためにご神木を運ぶ
さて、御柱祭は、果たして本当に「奇祭」なのだろうか。奇祭の定義は「その地域独特の風習や伝承に基づくものがあって、他の地域からは“風変わりなもの”と見えるもの」だという。確かに巨木を曳く祭りは例がないので、御柱祭はこれに当てはまるのだろう。山の暮らしと密接に結びついている点も、「地域独特の風習」と言えると思う。