日本三大奇祭「御柱祭」は本当に“奇妙”な祭りなのか?
数えで7年に一度だけ行われる諏訪大社の「御柱(おんばしら)祭」。申(さる)年の今年は、その開催年に当たる。山から切り出した巨木=御柱を氏子たちが人力で境内まで曳(ひ)くという独特の祭事で、4月2~4日には、メインイベントの一つ、上社の「山出し」が行われた。 「山出し」最終日の4日も、男たちが巨大な丸太にまたがって急斜面を下りたり、裸で川を渡るといった今や全国区になったシーンが繰り広げられた。そんな御柱祭は「日本三大奇祭」にも数えられている。しかし、本当に文字通り「奇妙な祭り」なのだろうか?「山奥でわけの分からないことが行われている」「毎回死人が出る」というステレオタイプなイメージが出来上がりすぎてはいないか?この地域に移住して5年目で初の“御柱イヤー”を迎えた筆者が、実際にこの目で見た肌感覚とニワカ知識を動員して考察してみた。(内村コースケ/フォトジャーナリスト)
4つの境内に16本の御柱を曳行
御柱祭は、平たく言えば、「モミの巨木を山から切り出して諏訪大社まで人力で運び、境内の四隅に立ててご神木にする」という行事である。正式名称は「式年造営御柱大祭」という。式年造営とは、一定の年月ごとに神社の社殿を新しく造り替えることだ。伊勢神宮などでは20年おきに行われており、諏訪大社でも武田信玄の時代などに大規模な改築の記録が残っている。御柱祭の起源には諸説あるが、元来は建築資材を運ぶ「土木作業」だったものが、やがて神事に変化していったと考えると分かりやすいかもしれない。
筆者は2011年に本籍地がある東京の下町から、諏訪大社の氏子に当たる諏訪地方6市町村の一つ、長野県茅野(ちの)市に生活の拠点を移した。僕のような“外来種”にとってトリッキーなのは、諏訪大社は一つではないという事実だ。諏訪市に「諏訪大社」という大きな神社がデンと鎮座しているわけではなく、諏訪と茅野の市街地の外れに「上社」があり、諏訪湖畔の下諏訪町に「下社」がある。さらに、上社は「本宮」と「前宮」に、下社は「春宮」と「秋宮」に社殿が分かれる。これらを総じて「諏訪大社」と言うのだ。 つまり、上社本宮・前宮、下社春宮・秋宮の4か所に4本ずつ御柱を立てるので、「御柱祭」で曳いてくる巨木は合計16本ということになる。氏子が中心となって行う運営は上社と下社で別個に行われ、曳行コースと日程も異なる。今回追いかけたのは、上社の方の「山出し」(山から切り出した御柱を上社の手前の「御柱屋敷」まで運ぶ行事)だ。ちなみに、下社の「山出し」は4月8~10日に行われる。その後、御柱を境内に運んで立てる「里曳き」が5月3~5日(上社)と同14~16日(下社)に行われる。