「耐えられないほど寒い。でもここしかなかった」地震後、ビニールハウス暮らしの高齢者約10人 避難所へ行かない「事情」 力を合わせて4人救助
能登半島地震で被災した石川県輪島市の山間部に、稲屋町という集落がある。この地域が受けた被害も大きく、家が倒壊した住民約10人が農業用のビニールハウスに身を寄せ、避難生活を続けた。氷点下を下回る日もあるほどの場所で、外とビニール1枚隔てただけの生活。北国で暮らしてきた住民にとっても「耐えられないほどの寒さ」だった。それでも工夫を凝らし、2週間も滞在。崩れた建物から住民4人も救助した。彼らはなぜ避難所へ行かなかったのか。話を聞くと、集落を離れられない事情があった。(共同通信=江浜丈裕) 【写真】避難所になっている小学校のトイレ 立ちこめる悪臭、順番待ちの列…衛生環境の悪化懸念
▽普段から団結、集落の力 1月1日、稲屋町を巨大な揺れが襲った。自宅2階にいた住人の干場昇一さん(76)は、倒壊した家屋の隙間から外にはって出ることができた。一階にいた妻と帰省中の息子夫婦、孫3人も奇跡的に無事だった。 外に出た近所の人々は、冷たい風を避けるため自然とビニールハウスに集まってきた。一方で、顔を見せない人が何人もいた。25軒ほどの小さな集落で、全員が顔見知り。誰がいないのかはすぐに分かった。 「下敷きになっているのでは…」 心配になった干場さんらが倒壊した家屋に向かって「誰かいるか」と叫ぶと、「ここだ」と叫び返す声。この家に住む松本幸三さん(74)だった。 松本さんは家が崩れた衝撃で気を失っていたが、「呼ばれていて、気がついた」。 干場さんらが耳を澄ますと、ほかにも周囲から助けを求める声が聞こえる。 「助けに行くから待ってろ」。ジャッキやのこぎりを使い、家屋に挟まって逃げられない人の救出に、みんなで取りかかった。
木戸清一さん(76)も救出作業をした一人。「いつ、がれきが崩れてくるか分からない。余震のたびに自分も死ぬんじゃないかと思った。助けようと、とにかく必死だった」 結果的に4人を救い出すことができた。普段から団結している集落の力だ。松本さんは今も「助けてもらった」と感謝している。それでも干場さんは悔やむ。どうしても助けられなかった人が2人いたためだ。救助活動を終え、皆がビニールハウスに戻った時点で2日午前1時半を回っていた。そこから極寒に耐える生活が始まった。 ▽「人間が住む場所じゃない」 長さ60メートルのビニールハウスには当初、13~14家族の約30人が集まった。普段はキュウリやトマトの苗を育てる場所で、タネをまいたばかりだった。周辺に雪が積もったビニールハウスの隙間からは、真冬の冷たい風が容赦なく入ってくる。 ダウンジャケットを着込んだ程度ではとても耐えられない。干場さんは状況をこう説明してくれた。「昼間は日光があるのでまだましだが、朝と夜の寒さは尋常じゃない。心も体も限界だ」。ビニールハウスの所有者、浦年信さん(72)も一緒に寝泊まりした。「命の危険を毎日感じている。人間が住む場所じゃない」