「耐えられないほど寒い。でもここしかなかった」地震後、ビニールハウス暮らしの高齢者約10人 避難所へ行かない「事情」 力を合わせて4人救助
そして、こう続けた。「避難所に行けば、周囲は知らない人ばかり。ぎゅうぎゅう詰めの避難所で暮らすより、こちらの方が気が楽だ」 特に男性は、小さいころから稲屋町で育った人が多い。「みんな、子どものころからの知り合いだ」。お互いに家族ができた後も、地域ぐるみで日常生活を通し、仲を深め合ってきた。知り合いだから、長い共同生活を送れたことは確かだ。 ▽「二度とここには住まない」 輪島市は、地震発生からしばらくして、この「ビニールハウス避難所」を把握し、職員が水などの物資を運んでくれるようになった。事態を知った親戚や友人らも、さまざまな物資を送ってくれたという。 地震発生から2週間が経過した15日までに、「ビニールハウス避難所」にいた人々は、家族単位でホテルなどに二次避難したという。固い絆で結ばれた集落だったが、今後どうなるのかは分からない。ハウスで暮らした人のほとんどが、「二度とここには住まない」と口をそろえた。理由は、倒壊した家を再建するのは金銭的に難しく、再建してもまた大地震に遭うかもしれないためだ。干場さんは「コミュニティーがなくなるのは寂しいが…」と漏らした。