1年限定で「流行通信」を手掛けた横尾忠則の審美眼
PROFILE:横尾忠則/現代美術家 プロフィール 【画像】1年限定で「流行通信」を手掛けた横尾忠則の審美眼
(よこお・ただのり)1936年兵庫県生まれ。1960年代からグラフィックデザイナーとして活躍し、1972年ニューヨーク近代美術館で個展を開催。その後もパリ、ヴェネツィア、サンパウロなど各国のビエンナーレに出品する。1981年に「画家宣言」で画家に転向。以降は美術家としてさまざまな作品制作に携わる。2012年には約3000点もの作品を収蔵する横尾忠則現代美術館(神戸市)が開館した。2021年7月に東京都現代美術館で「GENKYO 横尾忠則 原郷から幻境へ、そして現況は?」を開催。現在、12月3日まで東京国立博物館 表慶館で「横尾忠則 寒山百得」展を開催している。
1980~1981年までの1年間限定で、「流行通信」のアートディレクターを務めた、美術家の横尾忠則。1981年に商業デザインから身を引く、いわゆる「画家宣言」の直前まで手掛けた13冊は、ライティングから作られたファッションストーリー、プロデュース的発想から生まれたアート連載、自身が撮影を手掛けた表紙など、どれもが冒険というべき、情報雑誌とは異なるものだった。最後の号は“さようなら”というメッセージを込めた、後ろ向きの人物の写真が表紙になっている。ときに挑発的で複雑な構成は、あらゆるスタイルを持たず、言語化することを捨てて身体の赴くままに描き続ける、横尾の絵画作品とも重なる。今回は「流行通信」と渋谷PARCOをテーマに新作のコラージュを作り上げた。約40年が経ち、改めて当時の「流行通信」を振り返る。
また、本号の発売と同時期に開幕し、12月3日まで東京国立博物館・表慶館で開催されている「横尾忠則 寒山百得」展では、約1年半で102点もの新作を描き上げた。これらの作品は、中国・唐の時代の詩人、寒山と拾得をモチーフに、短期間で一気に作り上げていった、その時々の感情と独自の解釈を交えながら再構築したシリーズ。自由奔放な画風とその創作性について話を聞くために、世田谷区・成城のアトリエを訪ねた。