1年限定で「流行通信」を手掛けた横尾忠則の審美眼
--クライアントワークの中でも「流行通信」は横尾さんにとってどんな印象でしたか?
横尾:今、そう言われて気が付いたけど、それまで僕にも特定のクライアントがいなかったんですよ。僕は企業の仕事もしましたけど、単発でポスターを作ったりする仕事でしたから、グラフィックデザインで、どうしても僕じゃなきゃいけないっていう仕事は『流行通信』が初めてかもしれません。それは森さんとの信頼関係がありましたからね。
--「流行通信」を手掛けられたあと、「グラフィックの時代が終わる」という個人的な感覚が降りてきたとお聞きしました。
横尾:本当のことを言うと、1980年にニューヨークのMoMAでピカソ展を見に行ったときに会場がものすごく混んでたんです。前に進めない渋滞状態ですよ。その状態が20分くらい続いたのかな。その時、僕の中で衝動的に「グラフィックをやめて次は美術をやれ」っていう概念のようなものがドーンときたんです。誰かが僕の後ろで叫んだのかと思うぐらいで、本当にびっくりしましたね。
そろそろグラフィックに飽きて、絵画をやりたいと思っていれば理解できますけど、そうではなかったですから。グラフィックは僕にとって天性の仕事でしたし、その頃は、海外の美術館から個展のオファーがいくつも来ていたんです。このままグラフィックデザインを続ければ、世界のトップランナーになれると思っていたし、グラフィックデザイナーとして幸福な瞬間に「グラフィックをやめて、絵画の道に行け」という波動というか、見えない何者かに洗脳されたようでした。
--それは、ご自身の中から湧いてきたような感覚なんでしょうか?
横尾:僕のものじゃないですよ。だけど、僕の中を通らないと出てこない魔力的な力の意志が働いたように思いました。それが、神か悪魔か知らないけれど、すごい強い力を送ってきたんです。そうすると、その力に抵抗できなかった。僕の中からグラフィックの概念がスーッと消えていくのがわかったわけです。遠くへ行く感じです。そして、目の前に壁ができて、アートがどんどんやってくるんです。アートをやりたいとは思っていないのにですよ。それで、これは洗脳だなと感じたんです。僕の宿命のプログラムにはそのタイミングでグラフィックから絵画に転向させる計画が組み込まれていたような気がしました。こういうことが人生で実際に起こるんだと思いましたけど、これに似たような経験が過去にもあったんですよ。