1年限定で「流行通信」を手掛けた横尾忠則の審美眼
浅井慎平とか藤原慎也、荒木経惟とかに、直接電話して交渉しました。例えば、藤原新也にお願いしたときは、ちょうど「シルクロード」の作品を撮っていて、「ファッション写真には興味がない」と話すんです。彼は撮る理由を求めてきたので「シルクロードを出発して、青山のファッションショーの楽屋を終着点にしたら?」と説得したらおもしろがってくれて実現したんです。
--有田泰而さんが表紙を撮影された、編集ページが全部白黒で作られた号も印象に残っています。
横尾:これ、おもしろいでしょう。全員白黒の号は広告主から「色がついて一目で広告とわかって、目立ち過ぎる」という指摘があったそうなんです。いつもは広告を目立たせたいくせに、目立ち過ぎて嫌だということなんです。編集ページと広告ページを逆転させたんです。
--編集ページは横組みで、広告は縦組みというデザインもありました。
横尾:発想があっても、実践するかどうかなんですよね。僕はあまり説得したくないので「これでお願いします」で終わりだから。細かい事はあまり言いませんでした。デザインは湯村輝彦くんと、もう1人若いデザイナーで養父正一くんでした。最初のコンセプトは、僕が伝えて2人が汲み取ってくれていたんですが、考え方が一致していたので、イメージが違うものはほとんどなかったように思います。
--何かを繰り返していく中で様式やスタイルが作られていくように感じるのですが、毎号手掛けられる中で実験的な表現を続けられたのはなぜでしょうか?
横尾:実験意識はなかったですね。理論がないだけですから。アバンギャルド精神はあまりなかった。変わったことをしたいっていうことだけだったのかもわかりません。森さんは「あれをやっちゃいけない、これをやっちゃいけない」とは一切、言いませんでした。僕を解き放つような存在だったということが大きいと思います。先見性というか、ある意味で革命ですよね。しかも、やればやるほど売れるんだから。