甲子園春夏連覇の“琉球トルネード”に大学で悲劇が…島袋洋奨32歳に問う「高卒でプロの選択肢はなかったか?」意外な答え「微塵も後悔してません」
「高卒でプロ入りはまったく考えてなかった」
その後、高校3年生になった島袋は甲子園で“伝説”を作り上げる。 2010年(春) 5試合46回 投球数689 被安打35 奪三振49 失点7 防御率1.17 2010年(夏) 6試合51回 投球数783 被安打47 奪三振53 失点12 防御率1.94 春夏ともに三振の数がイニング数を上回り、防御率は1点台。全11試合に先発した島袋の活躍によって、興南は史上6校目の甲子園春夏連覇という高校野球史に残る栄冠を手にした。 変則モーションの“琉球トルネード”に、誰の目にも明らかな投手としての実力。プロのスター候補生として、島袋は紛れもなく世代の一番手に立っていた。しかし中央大学への進学後、あれほど眩かった輝きは陽炎のように揺らめき、跡形もなく消えてしまった。 無礼だとは思いながらも、質問せずにはいられない。あのとき、高卒でプロに入る選択肢はなかったのか、と。 「大学に行ったことは微塵も後悔してません。高卒でプロ入りはまったく考えてなかったので」 そう断言した島袋の表情は、14年前の甲子園のマウンド上と同じく、威風堂々としていて一瞬も揺らぐことはなかった。 しかし、大学時代に起きた“悲劇”が、その後の島袋の野球人生を狂わせたのは明らかだった。 <続く>
(「甲子園の風」松永多佳倫 = 文)
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