甲子園春夏連覇の“琉球トルネード”に大学で悲劇が…島袋洋奨32歳に問う「高卒でプロの選択肢はなかったか?」意外な答え「微塵も後悔してません」
「130km台のボールでも空振りが取れていました」
翌2010年の甲子園で、島袋はまさに“無双状態”に突入する。173cmと上背はないものの、上半身を真後ろに捻る“琉球トルネード”投法から繰り出すボールは綺麗にスピンがかかり、小気味いい音を立ててアウトコースに構えたミットへと吸い込まれた。 「足を上げた瞬間には、すでにボールの軌跡のイメージがしっかりできていました。でも2年生のときの方が力感もなく、スピードも140中盤、145kmくらいがマックスだったんですけど、130km台のボールでも平気で空振りが取れていましたね」 島袋は勝負どころを察知すると、一段階ギアを上げて自信満々にストレートを投げ込み、悠然と空振りを奪っていた。その象徴的なシーンが、2年生で迎えた2009年夏の甲子園での今宮との対決だ。さらに同年夏の沖縄県大会決勝戦、対中部商の3回裏にも、よく似た場面があった。
あの山川穂高を封じた“伝説の名勝負”
中部商の四番に座っていたのは、のちにプロで4度のホームラン王に輝く山川穂高(ソフトバンク)。2004年以来の夏の甲子園出場を狙う中部商は山川を中心とした重量打線のチームだった。一方、興南は決勝までの4試合で14得点、うち3試合が完封と投手力で勝ち上がってきた。まさに好対照のチーム同士の決勝戦となった。 興南の先発を託された3年生・石川清太は立ち上がりを無難に抑えるものの、3回裏に中部商の重量打線に捕まった。先制点を奪われ、さらに無死満塁の大ピンチで2年生エースの島袋に交代。勢いに勝る中部商打線を抑えることができるのか――甲子園がかかった決勝戦のこの場面こそ、投手としての真価が問われるところだ。 最初の打者を外角低めの変化球で浅いライトフライに仕留め、球場のざわめきが少し静かになる。次の左打者は、クロスファイヤーからの外角ストレートで三振。2アウト満塁で、四番の山川を迎える。お膳立てが揃った。ここで一発でも出れば、中部商が甲子園の切符をほぼ手中に収めることになる。 当時から山川は大器の片鱗を存分に見せつけていた。島袋の代の興南でキャプテンを務めたサード・我如古盛次はこう回想する。 「山川さんの打球は速すぎて見えないくらいでした。マジでやばかったです」 明らかにストレートを待っている山川に対して、低めの変化球から入った。警戒しすぎてボールが先行し、スリーボール。もうボールを投げられない場面で、島袋は底力を発揮する。内角低めのツーシームを投げ、まず1ストライク。島袋は徹底的に低めのストレートを投げ続ける。フルスイングする山川はファウルを連発し、その度に打席で吠える。 フルカウントで迎えた8球目。強烈な縦回転のスピンがかかった渾身のストレートが、糸を引くような軌道を描きながら外角低めいっぱいに決まる。 「ストライクッ!」 球場に響き渡るアンパイアの声。 見逃し三振。あの山川が、バットをピクリとも動かせなかった。 島袋はガッツポーズをすることもなく、平然とマウンドを降り、小走りでベンチへと戻っていった。
【関連記事】
- 【続きを読む/#2】「ヒジがぶっ飛びました」島袋洋奨が“壊れた”440球の異常な酷使…甲子園春夏連覇のエースを襲った“さらなる悪夢”「もうダメだ…完全に終わった」
- 【続きを読む/#3】プロ2試合で戦力外通告…“消えた天才”島袋洋奨32歳の告白「真っ直ぐに頼りすぎた」「“たられば”はない」恩師の証言「消耗は宮城大弥の倍以上」
- 【衝撃写真】「体幹エグすぎる」「これは打てない…」甲子園で無双した島袋洋奨“琉球トルネード”のスゴさが伝わる連続写真。「32歳の今もムキムキ」現在の姿まで一気に見る(全40枚)
- 【消えた天才】大谷翔平「じつは落選していた」楽天ジュニアのセレクション…そのエースだった“仙台の天才”は何者か「彼の剛速球で捕手が骨折」「仙台育英に進学」
- 【消えた天才】大谷翔平が発言「彼にはかなわない、負けたと思いました」青森にいた“怪物中学生”…なぜプロ野球を諦めたのか? 本人語る「大谷と初めて話した日」