現役を引退したヤクルト・近藤弘樹の壮絶な野球人生 肩の大手術乗り越えて復帰したことが持つ大きな意味
苦しい日々が続く中、支えになったのは家族だった。同学年の妻には日常生活の全てをサポートしてもらった。当時2歳だった長女とは、なかなか遊ぶことがかなわなかったが「パパは野球をやっていたんだよとわかるぐらいまでは続けたい」という思いが原動力になった。長女は4歳となり、昨年、長男が誕生。どんなときも3人の存在が励みになった。
22年シーズン終了後には育成選手として再契約。11月には肩のインピンジメントに対するクリーニング手術も受け、23年シーズンは万全を期して臨んだ。同年6月29日のイースタン・リーグ、楽天戦(戸田)で手術後初めてとなる公式戦に登板。再びマウンドに立つ喜びをかみしめた。
「普通なら契約を切られてもおかしくないところだったので、また育成で契約してもらえたというのはうれしかったですし、球団には感謝しかありません。復帰登板で自分の中では思ったようなパフォーマンスはできなかったですけど、投げられたというのがかなりの進歩でしたし、またマウンドに立ててよかったなという思いでした」
結果的に同年はイースタン・リーグ16試合に登板し、防御率1・13。24年シーズンこそ、1軍の舞台に立つことを目標にして臨んだのだが…。
「春のキャンプも無事に完走していたので、いけるかなと正直手応えはあったんですけど、急な感じでした」
違和感を覚えたのは今年3月中旬。春季教育リーグ登板の数日後に「あれ?」と右肩に張りを感じた。「正確なことはわかりませんが、負荷がかかる投げ方だったのと、前回再建したところに近かったので、ずっとかばっていたら…という感じだと思います」。違和感は痛みに変わり、投げられない日々が続いた。
診断名は「右肩(下方)関節包損傷」。前回手術をした関節包のすぐ下の部分を損傷していた。手術を受けたら、復帰には再び1年間を要す。悩みに悩んだが「進まないし、手術を受けないと投げられないので、治る可能性があるなら受けます」と決断。2年間1軍で登板がない中で覚悟を決め、今年5月に3度目のメスを入れた。