野村監督から「なんでライバルとメシなんか行くんや」…大学ジャパン主将が楽天で受けた“プロの洗礼” 20代で2度の戦力外→大学准教授に転身のウラ話
今から20年前の2004年、球界参入直後の楽天にドラフト4位指名で入団した西谷尚徳さん。明治大では大学ジャパン主将も経験した名選手は、2010年の阪神移籍→戦力外通告を経て現在は立正大で准教授を務める。球界でも異色のキャリア転身のウラには、現役時代から貫いた「文武両道生活」があった。《NumberWebインタビュー全3回の2回目/つづきを読む》 【写真で比較】「な、なんてアカデミック…!」大学准教授に転身した元・楽天選手の超インテリな42歳の現在と、トガっていたプロ時代…日本代表の主将もつとめた大学時代の姿も見る 50年ぶりに誕生した新球団。 クリムゾンレッドを基調とした真新しいユニフォームを纏う選手の大半が、プロ野球で揉まれた男たちだった。 2004年を最後に消滅した近鉄からは、選手会長を務めていた礒部公一にエースの岩隈久志と一線級の選手が加入した。それ以外となると、ほとんどがキャリアのピークを越えたベテラン、またはオリックスのプロテクト枠から漏れた中堅、若手選手たちである。 翌05年のシーズンからパ・リーグで戦うこととなった楽天の顔ぶれを、周りは同情するように「寄せ集め集団」と評した。 そんなチームの状況だけに、前年のドラフトで指名を受けた“楽天1期生”のルーキーたちからすれば大きなチャンスのようにも見えた。 「全く思わなかったですよ」 明治大から4巡目で入団した西谷尚徳は、恬淡と思えるくらいの調子で言った。 西谷が受けたプロの洗礼は、早かった。
当時の楽天は「寄せ集め」と言われていたが…?
ルーキーたちにとって、本格的なキャリアのスタートとなる2月の久米島キャンプ。3度ゴールデングラブ賞を獲得した大島公一をはじめ、酒井忠晴、斉藤秀光……セカンドの西谷には、内野守備のスペシャリストたちの身のこなしが衝撃的に映った。バッティングにしても、中日時代にホームラン王を獲得した山崎武司や近鉄“いてまえ打線”で中軸を担っていた吉岡雄二が、まるでピンポン玉のように軽々と打球をスタンドへ放り込む姿に、啞然とした。 「あの当時の楽天は『寄せ集め』と言われていましたけど、私はそうは思わなかったですね。大島さんや山崎さんとか、確かに大ベテランで体力は衰えていたかもしれませんけど、プロで磨き抜かれた技術というものが本当に洗練されていて。1年目のキャンプの段階で太刀打ちできないと思いましたね。『俺は何をやってきたんだろう』って感じでした」 38勝97敗1分。記録的大敗だった楽天1年目のシーズンにおいて、西谷は大学4年の夏から痛めていた右ひじを手術したこともあり、一軍デビューはおろか二軍でも18試合の出場に留まった。 西谷はこの時、すでに達観していた。 「いつクビになってもおかしくないだろう、と思いながらやっていました」 西谷というプレーヤーは、守備や走塁でスペシャリティを発揮するというより、1試合を通じたパフォーマンスでこそ生きるタイプである。そうなると、一芸を磨くのではなくライバルたちとのレギュラー争いに勝つことが求められるわけだが、セカンドの西谷にとって壁となっていた選手が高須洋介だった。 守備は堅実で得点圏で力を発揮するバッティングは、2年目に楽天の監督となった名将・野村克也をして「必殺仕事人」と言わしめるほどだった。
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