野村監督から「なんでライバルとメシなんか行くんや」…大学ジャパン主将が楽天で受けた“プロの洗礼” 20代で2度の戦力外→大学准教授に転身のウラ話
トライアウトを経て、阪神へ移籍したが…
年が明けた10年1月。西谷はテストを経て、育成枠として阪神に入団した。 新球団の楽天で5年間プレーした西谷にとって、この年で創設75周年を迎える阪神は、伝統球団そのものだった。 圧倒的な人気もさることながら、西谷が脱帽するほど感心したのがシステマティックな育成システムだ。不動のショートである鳥谷敬がそうだったように、将来的に一軍での活躍を期待されている生え抜き選手は段階的にチャンスを与えられる。当時ならば2年目の上本博紀が有望株だった。そこに加えて金本知憲や新井貴浩、平野恵一といった経験と実績を兼ね備えた実力者が名を連ねる。 外様。ましてや育成枠として入団してきた西谷に、入り込む余地などなかった。 だからこそ、春季キャンプが勝負だと思っていたし、実際に一軍の首脳陣が視察に訪れた二軍の紅白戦で結果も出した。しかし、二軍のコーチから「よう打ったな」と社交辞令を述べられるだけで、進展は見込めなかった。 西谷が「球団の人には申し訳ないんですけど」と恐縮しつつ、抱いた心情を吐露する。 「これはもうないな、と。そこからは無気力状態です。たまに二軍の試合に出させてもらっても、自分が対戦したいピッチャーの時だけやる気を出すみたいな。そんなんだから、コーチにしてみれば『お前、使えないな』となるのは当然ですよね。でも結局、『頑張っても』という気持ちが湧いてしまった以上、ばかばかしく思えてしまったんです」 シーズンオフ。西谷は阪神から戦力外通告を受け、今度は潔くユニフォームを脱いだ。 新たな目標が定まる。 この年に明星大大学院で修士号を取得した西谷は、本格的に教師の道へと歩み出した。 <次回へつづく>
(「野球クロスロード」田口元義 = 文)
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