野村監督から「なんでライバルとメシなんか行くんや」…大学ジャパン主将が楽天で受けた“プロの洗礼” 20代で2度の戦力外→大学准教授に転身のウラ話
野村監督からは「なんで同じポジションを争う奴と…」
この人には勝てないな――西谷はあっさりと敗北を認めた。 「なんでお前、同じポジションを争ってる奴とメシなんか食いに行くんや?」 野村から怪訝そうに言われる。弱肉強食の競争社会において監督の理屈もわかるが、敵に塩を送る高須に応えない理由もなかった。 「高須さんもそうですけど、誰にも勝てるレベルになかったのがわかってしまったので」 どちらかといえば西谷も、高須と似たようなプレースタイルを持つ選手だった。明治大1年の春に導き出したのは、ボールを見極めてフォアボールを選び、時にはバントで手堅く送り、進塁打を放つ方法。その過程で甘いボールが来れば確実に仕留める。自分の立ち位置を分析し、練習に励むことでプロへの道を切り開いた。 それは、1990年代に「ID野球」を採用してヤクルト黄金時代を築いた野村が好むスタイルではあるはずなのだ。 そうですね――理解したように頷き、西谷が自分を憐れむように振り返る。 「頭で考えて、実際に対応できていたら苦労はしていないですよ」 2年目となるこの06年。西谷は一軍デビューを果たし、10試合と限られた出場ながらも打率3割5分7厘と、数字の上ではアピールできたように映る。それでも、「いつクビになっても」という危機感――いや、達観を拭い去ろうとはしなかった。 西谷が「引退後」に向けてアクションを起こしたのも、ちょうどこの頃だ。 明らかなきっかけがある。 大学時代から悩まされていた右ひじの状態がいよいよ限界に達していた。そしてこのオフ、トミー・ジョン手術と呼ばれる側副靭帯の再建手術に踏み切った。ピッチャーに多く見られる経過からもわかるように、完全復帰までには平均で1年半も費やす。西谷はその期間をリハビリだけに充てるのではなく、人生を豊かにするためにも利用したのだ。
ケガを機に、プロ野球選手と大学院生の「二刀流」
それが、大学院への入学だった。 07年に大学院で修士号を取得するための研究計画を立て、教育学を志すことを決めた。そして翌08年に計画書を作成し、入試に臨んだ。これらを経て、西谷は09年に明星大大学院の通信教育課程で学ぶこととなった。 プロ野球選手と大学院生。 対極に近いほど異質な二足の草鞋を履くのは、前述したとおりセカンドキャリアを見越してのことだ。一方で、そんな西谷の歩みを辿っていて、少々の違和感を抱いたのがこの年のオフ、楽天を戦力外となってからの彼の行動である。 高校時代から将来的な職業として教師を視野に入れ、現役時代から大学院に通うほどである。戦力外となれば、プロ野球への未練を断ち切れるだろうと考えるのが妥当だ。 にもかかわらず、西谷は合同トライアウトに参加したのである。 「言葉で説明するならば、けじめですよ」 西谷がそう前置きし、続ける。 「自分のなかでは野球選手としてのピークだったというか、脂が乗っている時期だったんですね。二軍の試合だと『どのピッチャーが来ても打てる』という自負があったので、それをトライアウトの舞台で試して、他の球団から声がかからなければ辞めるという思いでした」 この発言からにじみ出ているのは、西谷という男が「プロ野球選手」と「教師」という職の狭間で揺れ動くどっちつかずの人間ではなく、リアリストであるということだ。 目的意識を宙ぶらりんにしないために、目の前にある果たすべき務めに注力する。その優先順位が、まずは野球だったわけだ。 09年の西谷は一軍でこそ6試合の出場で9分1厘だったが、自身が強調するように二軍では主力として70試合に出場し、3割5分8厘の高打率をマークしていた。それはトライアウトの舞台でも発揮され、雨天のため甲子園球場の室内で行われた一次は、4打席に立ちヒット性の打球を2本飛ばした。神宮球場での二次も9打数4安打、2四球と、上々のパフォーマンスを披露した。その自信は、終了後の囲み取材で「手応えはあった」と言ったコメントにもにじみ出ていた。
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