ニーズも技術も時期尚早 販売苦戦ながらプレーリーは日産にとって『重要モデル』
プレーリージョイに車名変更
徹底的なネガ潰しによって魅力一新した2代目プレーリーだが、強敵が出現。そう、乗用タイプミニバンブームのきっかけとなり、王者に君臨していた初代ホンダオデッセイだ。オデッセイはプレーリーとは違いリアはスライドドアではなくヒンジドアを採用。あくまでも乗用車感覚、セダン感覚で運転できる多人数乗車モデルということで大ヒット。 個人的にはお世辞にもデザインがいいとは思わないが、ホンダの作った多人数乗車モデルという付加価値もヒットの要因になっているはずだと考える。 オデッセイが登場したのは1994年。2代目プレーリーは88年デビューだから、当時の日本車はほぼ4~6年サイクルでフルモデルチェンジしていたことを考えるとモデル末期。日産はフルモデルチェンジではなくビッグマイチェンで対抗。車名もプレーリーから『プレーリージョイ』と変更してリフレッシュを図ったが、デザインも急造感丸出しでアンバランス、乗り味、室内はライバルに比べて古さを隠せず、乗用タイプミニバンブームの波に乗ることはできなかった。
極寒の地でEVが大活躍!!
プレーリージョイになっても販売は上向かなかったのだが、結果論として日産にとっては非常に重要な意味を持つモデルになった。日産は当時EVの開発を行うに際し、そのベースモデルをプレーリージョイに決定。バッテリーを搭載するにはスペースが必要なため、日産にとっては打って付けだった。 1990年にソニーが世界で初めてリチウムイオンバッテリーを実用化することに成功。それに対し日産は、「ソニーの公式発表の翌日から自動車への適用を検討」と積極的で、1992年にソニーと提携し、開発を始めたのがプレーリージョイEVだ。そして、1996年に法人向けに30台がリースされた(一般販売はされず)。リースゆえ不具合があれば回収することも可能なので、実験的なクルマではよくある手法だ。 このプレーリージョイEVは、「国際北極観測隊が、ノルウェーの基地で使える電気自動車を探している」と聞きつけた日産は、極寒テストとして最適と判断してプレーリージョイEVを貸与。6年間にわたり、極寒の地で活躍したという。 日産の電気自動車は、その後ルネッサベース、ハイパーミニ、キューブベースなどいろいろ開発を進め、リーフ登場に至るわけだが、リチウムイオンバッテリーを搭載したプレーリージョイEVでのブレークスルーが大きな意味を持っているのは明らかだ。