ニーズも技術も時期尚早 販売苦戦ながらプレーリーは日産にとって『重要モデル』
ボディ剛性も確保
それからユーザーをがっかりさせていたボディ剛性のなさについても、ピラーレスというコンセプトを初代から踏襲しながらも大幅な補強を施し、『グニャグニャボディ』の汚名を返上。 実は1990年に筆者は『ベストカー』でアルバイトを始めたのだが、その時の社用車として2代目プレーリーが使われていて、その時に初めて運転した思い出深いクルマ。初代は素人でもボディ剛性のなさがわかる、と言われていたようだが、2代目はおおむね不満のないレベルだったと思う。
背が高いのでロールは大きめ
2代目プレーリーは、当時の日産の主力小型セダンのブルーバード(8代目・U12型)がベースとなっていた。プレーリーはブルーバードに比べて背の高いが、コーナリング時に車体が必要以上に不安定になるとか、最悪破綻するといったことはなかった。ただ、サスペンションが柔らかいので、初めてワインディングを走った時はロールが大きいため、けっこうビビった。 ブルーバードで初登場した日産の4WDシステムのATTESA(アテーサ)がプレーリーにも設定され、降雪地域でのニーズにも応えた。ATTESAという字面、アテーサという響きとも今でもカッコいいと思う。日産って昔からネーミングセンスが抜群だと感心させられる。 エンジンは初代が1.5L、1.8L、2Lだったのに対し、2代目は2Lと2.4Lを搭載。特に2.4Lはトルクが太いので、多人数乗車時、積載物が多い時でもストレスなく走ることができた。逆に言えば、2Lでは少々非力と感じることもあった。当時は2Lと2.4Lでは、5ナンバーと3ナンバーの大きな壁があったため、人気は2Lモデルだった。ベストカーの社用車も2Lの7人乗りだった。 この社用車プレーリーだが、一般家庭のように多人数乗車目的で使われることは少なく、撮影機材、ゼロヨンテストなどの光電管、バッテリー、計測機器などを運搬するのに重宝していた。ただし、肝心のラゲッジスペースが、リアのストラットサスの取り付け部分が出っ張っていて、横方向の自由度が制限され、もったいないなぁと思った。あと、フル積載時には「遅い!!」だった。 初代では3列シートの3列目は極狭(ごくせま)と酷評されていたが、全長を30cm程度延長したことで広くなっていたことをフォローしておく。