パリ五輪体操3冠・岡慎之助 ロス五輪は「圧倒的な差で」勝つ!「記憶に残る大会」経て28年も 「出るやつ全部金」
パリ五輪の体操男子で団体総合、個人総合、種目別鉄棒の3冠を達成し、平行棒で銅メダルを獲得した岡慎之助(21)=徳洲会=が、デイリースポーツの取材に応じた。奇跡の逆転金メダルとなった団体総合など、あらためて日本列島を沸かせた名場面を回想。新王者として2028年ロサンゼルス五輪での4冠を目標に掲げ、団体総合と個人総合での五輪3連覇への熱い思いを語った。取材日には所属先の新体育館が一般にお披露目され、人々が長蛇の列をつくった。 【写真】恥ずかしがりながら倒立を披露する岡 チラリ見えた腹筋がすごっ 金メダリストの演技を一目見ようと訪れた大勢の人の前で、岡は気持ち良さそうに練習をしていた。「こんなに人がいるんだと。いろいろ番組にも出て、注目されてきているのかなってすごく思います」。車で体育館入りすると、歓声が上がった。五輪を経て、スーパースターになったことを実感する一日だった。 初のシニア代表ながら快挙ずくめのパリ五輪だった。団体総合は着実な演技で劇的逆転Vを支え、個人総合と鉄棒では“本命”とみられた強豪選手に次々とミスが出る中、冷静に演技を通して金メダルを獲得。平行棒でも銅メダルに食い込み、合計四つのメダルを手にした。 「歓声や雰囲気とか、覚えています。やっぱり歴史というか記憶に残る大会だったなと思う」 一番の思い出は団体総合の逆転劇だ。最終種目の鉄棒の前に、トップの中国とついた点差は3・267。0・1点を争う体操にとっては致命的だったが、鉄棒で中国選手が2度落下し、3人全員が演技を通し切った日本が逆転金メダルを獲得した。 「あれはもう感動ですよ、本当に。もうほぼない、絶望的な状態の中だったんで」。演技に集中するため、試合中に点数は見ていなかったが、2番手で鉄棒を終えてから「急に金メダルを意識した」という。期待に胸を膨らませ、奇跡の大逆転の瞬間を待った。 その熱狂は日本に帰ってからも続いていた。「小さい子とかにも元気だったりエネルギーを与えられたんじゃないかなって。帰ってきてからも『すごい感動』したとか聞いたんで、自分の演技で心を動かしたんだなって。頑張ってきてよかった」としみじみと語る。 感動の“架け橋”を4年後も再びかけにいく。2028年ロサンゼルス五輪へ向け、色紙には「ロスでも金 目の前の事に集中!」としたためた。目指すのは、パリ五輪でメダルを獲得した4種目全てでの金メダルだ。 それはパリを経て生まれた思いだ。実は、当初は鉄棒でのメダルを全く考えていなかった。「自分の中で(パリ五輪の)鉄棒は種目別で(決勝に)出る予定がなかったんです。決まったときに『メダルを目指そう』と思った。『銅メダルは取ろう』と思っていたんです」。予選も5位通過と影を潜めていた。ただ、決勝は極限の緊張状態が会場を包み、“五輪の魔物”に襲われる選手が続出した。「やる前はすごく怖かった」と岡も例外ではなかったが「でもすごい信じていた、自分を」-。緊張を集中に変え、のびのびと演技したことが金メダルにつながった。 夢は大きく描いている。五輪個人総合2連覇の“キング”こと内村航平さんのように勝ち続けることが理想。「出るやつ全部金」を掲げ、団体総合と個人総合は五輪の「3連覇」と宣言した。 「圧倒的な差で勝ちたいですね。でも絶対的にライバルは中国になってくるんで。また4年後、頼りになるチームメート、選手になりたいです」。謙虚な口調に勝利への意欲がにじんだ。新王者は一歩一歩集中し、さらなる高みへ向かう。 ◆岡慎之助(おか・しんのすけ)2003年10月31日、岡山県出身。4歳で体操を始め、おかやまジュニア体操スクールを経て、中学卒業後は実業団・徳洲会入りした。19年世界ジュニア選手権では団体、個人総合の2冠に輝いた。22年の日本代表選考会で跳馬の着地の際に右膝前十字靱帯を完全断裂し、全治8カ月の大けがを負った。24年NHK杯で初優勝。パリ五輪の団体総合、個人総合、種目別鉄棒で金メダル、種目別平行棒で銅メダルを獲得した。155センチ、54キロ。血液型はO。