「犬連れ登山」は是か非か “犬お断り看板”の実態を探る
お互いを尊重して歩み寄れるか
私は環境保護の観点以前に、犬の体力、自分たちの技術・経験、犬嫌いの登山者の気持ちも尊重したいといった理由から、看板の有無に関わらず標高2500メートルを超えるような本格的な登山はそもそもしないというスタンスだ。 一方で低山のハイキングや頂上を目指さず中腹付近を歩くトレッキングは楽しみたいし、犬を連れて行きたい。これについて、SNSで「登りたくもない山登りに付き合わされて犬がかわいそうだ」という主旨の嫌味を言われたことがあるが、うちの犬は一人で留守番させられる方が「かわいそう」な性格の犬である。また、実際に山に行った時の様子から、積極的に山歩きを楽しんでくれていると、10年以上共に暮らしてきた家族として断言できる。
個人的には「犬の入山そのものは規制の対象にならないが、環境に十分配慮してマナーを守り、入山の自粛を求めるローカルルールは尊重する」という、環境省や森林管理署のスタンスが妥当な落とし所だと思う。しかし、ペットの犬を山から排除する理由として掲げられているさまざまな“大義名分”の根底に「犬が嫌いだ」「新参者の犬連れ登山者が目障りだ」といった理屈にならない感情があるではないかと思う。 意識的・無意識的かは別して、そうした感じ方が一定数あるのはむしろ当然なことだ。それは尊重しなければならない。だからといって、その対極にある犬を家族同然に思い、一緒に大自然を満喫したいという気持ちを否定する必要もない。根底にあるこうしたお互いの「気持ち」を無視して、大義名分の部分のみで議論を続けても歩み寄るのは難しいと思う。大前提として必要なのは「他者に共感できる心」だと言うと、綺麗事すぎるだろうか。 ただ、権威の名を借りて犬を排除する設置者不明の看板や、現在の一般的な見解とは異なる主張をする文言は、当事者である愛犬家と犬の尊厳を傷つけるものだ。少なくとも私は、太郎山での一件などで、そう感じた。また、そうした看板によって、大多数の一般登山者に公平とは言えない形で一方的な主張が広まるのはアンフェアだと思う。取材の過程で太郎山での顛末を話すと、東信森林管理署の寺島さんはこうつぶやいた。「そういう看板は至るところにありますよ。全国的な問題だと思います」。
------------------------------------- ■内村コースケ(うちむら・こうすけ) 1970年生まれ。子供時代をビルマ(現ミャンマー)、カナダ、イギリスで過ごし、早稲田大学第一文学部卒業後、中日新聞(東京新聞)で記者とカメラマンをそれぞれ経験。フリーに転身後、愛犬と共に東京から八ヶ岳山麓に移住。「書けて撮れる」フォトジャーナリストとして、「犬」「田舎暮らし」「帰国子女」などをテーマに活動中