安易にアンダーハンドではなく、できるだけオーバーハンドで アタッカーのため、自分本位を捨てて上げ続けたトス
セットカウント1対2で迎えた第4セット、このセットを落とせば東京学芸大学の敗退が決まる。追い込まれた状況であることに変わりはなかったが、セッターの田中夏希(4年、大村工)はただひたすら、勝利のために仲間を信じてトスを上げ続けた。 【写真】豊富な運動量でコートを駆け回り、チームメイトにトスを上げる田中夏樹 21対18と東京学芸大が3点を先行して迎えた終盤、両チームの打ち合いが続く中、田中が選択したのは前衛レフトの堤鳳惺(おうせ、1年、福井工大福井)。2枚、3枚とブロックが並ぶ中で、苦しい状況でもひるまず打ち抜いて来た。当然警戒する東亜大学のブロックも厚く、一度では決まらない。2度、3度とブロックに当ててリバウンドを取り、ラリーが続く中、田中が深く膝を曲げ、ボールの下に潜り込んで丁寧に高く上げたトスを堤が決め、ロングラリーを制すると田中は堤に抱きついた。 「セッターはアタッカーが決めてくれないと勝てない。だから、逃げるトスを上げたらダメ。信じ切るトスを上げることだけ考えて、堤を信じて託しました」
アタッカーにしっかり打たせることを学んだ中高時代
セッターとしてのキャリアは長い。東京学芸大でも1年時から出場機会を重ねてきたが、礎が築かれたのは中学、高校時代。渕江中では「バレーの基本と人間性を学んだ」と言い、大村工業高では「セッターとしてのすべてを学んだ」と田中は振り返る。 「とにかく第一はアタッカーにしっかり『打たせる』ことが大事だ、と。僕はでしゃばりだったので、どうしてもアタッカー目線ではなく自分本位に考えてしまい、そのたびに注意されました。(監督で元日本代表セッターの)朝長(孝介)先生には経験を踏まえて磨いた技術やセッターとしての考え方、(前監督の)伊藤(孝浩)先生からは技術と“セッター心”を身体に植え付けられました」 北京五輪に出場した朝長監督だけでなく、大宅真樹(サントリーサンバーズ大阪)や山口頌平(日鉄堺ブレイザーズ)など大村工高はSVリーグにも多くのセッターを輩出している。田中も中学から高校への進路を選択する際に「セッターとして一流の指導を受けたい」と自ら望んで東京から長崎へ渡った。とはいえ一つひとつのプレーも基本をおろそかにしない大村工の練習の厳しさに音を上げそうになったこともある。今でこそ「言葉で説明できなくても身体に染み付いている」という技術を備えたが、想像以上の厳しさに戸惑ったこともあるという。