「羊水検査で障害児だとわかって中絶した」と話す友人に怒りが湧いてしまったワケ
思わず抱いてしまった「醜い感情」
Uは数年前に伴侶と購入した新築マンションの一階に保育所があるが同じような年代の夫婦が多いためそのマンションはベビーラッシュで希望の保育所に入れるかどうか不安だという話や、中絶をした後に夫婦で犬を飼ったが躾をする前にお腹の子を授かったので慌ててドッグトレーナーを呼んだ話などをしていた。もちろん、その犬はペットショップで購入されていた。 和気藹々と女性同士の話が進む中、私は怒りが静かに込み上げてくるのを抑えるのに必死だった。Uがペットショップで一番可愛く育てやすそうな犬を選んだという話を聞きながら子もそのように選んだのかと思い、湾岸沿いの蜂の巣のようなマンションからUのような思想を持つ子どもたちが大量に羽ばたいていくのかと思い、自分勝手な妄想に自分で腹を立てていた。 そしてこう思ったのだ。「障害児を産めばよかったのに」。私は確かにそう思った。一瞬のことで打ち消そうとしたけれど、私はこの醜い感情を持った自分に慄き、その瞬間を忘れることは不可能だった。私はそう、確かに思ったのだ。こっち側にきてみろ、と。 私は幼い頃から障害者を差別する人間に嫌悪感を持っている。その頃は自分が障害者であるなんて思ってもおらず、ひとえに母親の教育に依るものだった。マルクス主義者の母は、人間は平等であるべきで、そのためにあなたはいつでも弱い者の味方をしなさい、と私に教えた。そして強い者と闘いなさい、と。ベルリンの壁が崩壊しても母の教育は変わらなかった。 小学生のとき、聾(ろう)(聴覚に障害のあること)の児童がクラスにいた。その子と私は家族ぐるみで仲良くしており、よく家を行き来もしていた。 ある休み時間に教室で自席に座っていたその子が、後ろの席に座る児童から頭を足で小突かれていたことがある。小突いていた児童は学年一体躯の良いサッカーのリトルリーグに所属するお坊ちゃんで、お金持ちの一人息子である彼がワガママ放題なことは学校中の者が知っていた。