「羊水検査で障害児だとわかって中絶した」と話す友人に怒りが湧いてしまったワケ
彼女を引き摺り下ろしたかった
才気煥発(かんぱつ)とはこのことと私が舌を巻いていた彼女のユーモアは、大人になるに従って人を見下すジョークとなっていった。そのことを私は嫌がったけれど、私の欺瞞に満ちた優しさよりもそれはずっと場を盛り上げた。 私は彼女やその周囲が共有する序列の最下層で、よく嘲りの対象となった。だが率先してピエロを引き受けた。それが進んで出来る自分は例外だという特権意識さえあった。 しかし、本当はその扱いを密かに憤っていたのだ。自身を例外だと思い込むことで序列の構造を無傷のまま再生産していたのは他ならぬ私だった。そのため、高みの見物を決め込む彼女を引き摺り下ろそうと、あの醜い思いが湧いたのだ。つまり、私もまた、その序列を共有する一員だったのである。 その会の間中、私は自らの差別意識と対峙するのに必死で、何を話したかも覚えておらず、見栄えの良い食事をひたすら頬張っていた。下手なことを喋らぬよう次々に食べ物を放り込み、胃がだるくなることで心の重だるさを誤魔化した。 Uは、「つらいことがあったけど逆に夫婦の絆が深まったって感じ!」とか「今日はみんなに力もらっちゃった!」とか、どこかで聞いたような文句を溌剌と繰り返していた。 寂しかった。あんなにも焦がれたUの言葉が彼女の社会的地位などとトレードオフになっているのを聞くのは寂しかったが、未熟な私のセンチメンタリズムよりも、Uの勝ち組女性としての強気で凡庸な生き方は分かりやすく確固たるものだった。 誰だって、私よりUになりたいだろう。それぐらい、彼女は自分がどう在れば幸福なのかを知っていたし、それを努力によって着実に手に入れていた。そして、その幸福を邪魔するものは排除した。それだけなのである。 帰り道、Uと二人きりになって私はようやく「大変だったね」とねぎらいの言葉をかけた。Uは「だってさ~あのとき産んじゃったら赤ん坊のどっかに欠損があるかもしんないって言われたんだよ。そんなん、うちの旦那さんも可哀想じゃない?」と私がUの決断を快く思っていないことを踏まえ伴侶のためとしてくれた。 そして明日は保育園の説明会なんだ、と言って電車を降りた。私は座席に座り直し、夫に帰宅の連絡と明日のスケジュール確認のメールを入れた。私たち夫婦も明日は説明会。脚に障害を持つ夫の片脚切断手術について、一緒に病院に聞きに行く予定だったから。 <文/石田月美 構成/女子SPA!編集部> 【石田月美】 1983年生まれ、東京育ち。高校を中退して家出少女として暮らし、高卒認定資格を得て大学に入学するも、中退。2014年から「婚活道場!」という婚活セミナーを立ち上げ、精神科のデイケア施設でも講師を務めた。2020年、自身の婚活体験とhow toを綴った『ウツ婚!!死にたい私が生き延びるための婚活』で文筆デビュー、2023年に漫画化された
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