「羊水検査で障害児だとわかって中絶した」と話す友人に怒りが湧いてしまったワケ
私を次第に見下すようになった友人
社会人になって自由に使えるお金が増えるとUはますます凡庸になっていった。実家住まいのUは給料すべてが自分の小遣いで、年上の彼氏と付き合っていたのでデート代もかからず、いわゆる「自分磨き」に精を出した。 ときたま会うUは完全に完璧に、ファッション誌が勧めるものすべてを身に着けており、顔にはシミも毛穴も一つもなく、爪は派手過ぎず地味過ぎないネイルがサロンで施してあった。 会うといっても、その場所はホットヨガなどに指定され、私は体験クーポン五百円みたいなもので一緒に居させてもらっていた。Uがいつもの週末を過ごす、ゴルフやエステに付き合うほどの財力を私は持っておらず、Uが喋る呪文のような基礎化粧品の数々や誰かの噂話に私は全くついていけなくなっていた。 でもそれは、ちゃんとした社会人になれていない私が悪いのだ。事実、Uの仕事の苦悩が私にはわかってあげられなかったし、いい歳こいてフリマで買った服を着ている自分とUのいつ会っても毎回違う最新流行のブランドバッグを見比べ落ち込んだりもした。 そんな私をUは次第に見下すようになり、彼女なりのジョークに包まれたその態度は私がUを敬遠する理由の一つにもなった。それでも何かあると私を誘ってくれるUはやっぱり寛大で、それが大酒飲みの彼女の酒のアテであろうと、私はできる限り顔を出した。 だから、その日の集まりも私は結構楽しみにしていたのだ。数年ぶりにUとその女友だちと数人で開かれた会に行くため、私は夫に数週間前から子どもたちを頼み、数日前から家族の好物だらけの夕飯を心がけ、朝早く起きて身支度を済ませ、意気揚々と出掛けていった。
久しぶりにあった友人の顔を見られなかった理由
久しぶりに会ったUはお腹を大きくしていた。私が第一声「おめでとう!」と言うと、Uは照れくさそうに「ありがとう」と言ってくれた。三々五々、誰かが集まるたびにUは「最近全然集まれなくてごめんね」と詫びていた。 私はそんなに定期的に集まっていたのかと驚き、更に1年位集まりに顔を出さなかっただけで謝罪するUに改めて社交性の高さを感じ、やっぱりUはUだな、すごいな、なんて思っていた。そして顔を出さなかった理由を述べようとする彼女に、誰でも色々あるしたった1年なのに!と彼女の律儀さにも驚き尊敬していた。理由を聞くまでは。 彼女は不妊治療をしており、あまり上手くいかない日々が続いていたが、ようやく授かった子が障害児だと羊水検査で分かった。それで中絶をしたが、自分は障害児しか授かれないのかと落ち込み、誰とも会う気分ではなかった。 しかしこのたび、健常者であろう子を授かることが出来て、安定期にも入ったので、皆にその報告も兼ねて久々に集まったのだ。 Uが上記の内容をたっぷり1時間以上かけて喋っている間、私は彼女の顔を見ることが出来なかった。自分でも大人気ないと思う。 Uのような思想を持つ者が少なくないのは知っているし、だからこそ羊水検査というものが存在するのだし、Uは何も悪いことをしたわけじゃない。法律で保障されている権利を行使しただけだ。 私も不妊治療経験者なのであのゴールの見えないつらさは知っている。それに障害児を育てるには大変な苦労と金銭が伴うことも、周りに障害児の母が多い私は理解しているつもりだ。 けれど、周りにそのような者が多いということは、Uとは違う決断をした者が多いということである。Uの言葉を借りれば「人生最大の悲劇」をしかと引き受けた者が。 集まっていた女性たちは私よりもずっと大人で、彼女の話が何を意味するかを理解しつつも、彼女に「今は元気そうで良かった」とか「赤ちゃん楽しみだね」とか、ちゃんと相応しい言葉をかけていた。 皆、私に障害があることも知っていた。私とUの双方に配慮しつつも団らんを続ける周囲に申し訳なくなりながら、私はぼんやりと「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ」と啄木の詩を思い出しているだけだった。