泥臭く走り抜いた全40試合…甲南大初のJリーガーMF木村太哉が岡山と共に初のJ1挑戦へ「身を粉にして奮闘できれば」
[12.7 J1昇格プレーオフ決勝 岡山 2-0 仙台 Cスタ] 甲南大出身者初のJリーガーとしてファジアーノ岡山に加入して4年目、MF木村太哉がフィールドプレーヤー唯一の全40試合出場でクラブをJ1初昇格に導いた。「まだ実感はわかないけど、小さい頃から夢見ていた舞台でようやく戦える。ようやくスタートラインに立てた」。高校・大学時代の選抜歴はなし。地道にキャリアを切り拓いてきた26歳が自らの力でトップカテゴリへの扉をこじ開けた。 【動画】アウェー中国戦の裏で起きていた珍事…日本代表FWがSNS上の声に反応「わざと」 献身性、泥くささ、球際や切り替え――。岡山らしさを体現するかようなプレースタイルはJ1昇格プレーオフの舞台でも健在だった。 「(岡山は)ハードワークが求められているところだと思うし、自分自身はそれをより表現できる選手だと思う。繋ぐところだったり、技術が求められるところは他の選手がやってくれているので、そのぶん自分がハードワークして、守備にも攻撃にも相手を混乱させるプレーができればと思っている。そこは岡山の良さでもあるし、僕の持ち味でもあるのかなと思う」(木村) 貫いてきたそうした姿勢は、舞台が大きくなればなるほどいっそう際立つもの。J1昇格プレーオフでは2ゴール1アシストという華々しい結果も出し、黒子役に回ることが多かったレギュラーシーズン38試合での2ゴール1アシストに匹敵するような数字をわずか2試合で残してみせた。 木村にとってこの結果は、チームプレーを最優先に考えてきたサッカーキャリアの賜物だった。「目に見える結果で表現できたのは良かった。かといってそれがなくても自分のやるべきことは全力でプレーすること。それが表現できたことで結果がついてきたので、それが良かったと思う」。そのブレない姿勢がチームをJ1に押し上げる原動力となった。 決して日の目を浴びるサッカーキャリアを過ごしてきたわけではない。もっとも、札幌大谷高では2年時に全国高校選手権出場、甲南大ではコロナ禍によるインカレ代替大会「#atarimaeni CUP」ベスト8と、チームの結果につなげる仕事は果たしてきた。その努力がJリーグという厳しい舞台でも報われた。 「僕自身は過去に代表歴もないし、地域の選抜歴もない。大学で関西選抜にも入れなかったし、高校時代も国体のメンバーに落ちたり、そういった人生だった。でも僕自身はプロになることを諦めていなかったし、それがこうやって実って、それを叶えさせてくれた岡山に感謝しかない。(J1昇格は)僕自身が勝ち取ったわけではないけど、この歴史的瞬間に立ち会えたことを誇りに思う」(木村) そう謙虚に話す26歳は悲願のJ1舞台でも、変わらぬ姿勢で自らを表現し続けていくつもりだ。 「僕自身は上手い選手でもなんでもないので、全力でプレーして表現することが自分の持ち味。それを一戦一戦こだわってやっていけたら、自分の面白さを表現できるのかなと思う。自分が通用するかしないかを確かめたい思いもあるけど、ここからまたチームが勝っていくために自分が身を粉にして奮闘できれば、よりチームの勝利に徹するプレーができれば自分の評価につながると思う。そこを全力で表現したい」(木村) それでも個人として楽しみなことはある。甲南大からは1年後輩のDF井上聖也(アビスパ福岡)が一足先にJ1デビューを飾っており、来季はJ1での対戦が実現する予定。「プレーオフ期間も何度か連絡が来ていた」と明かした木村は「生意気な後輩なので……」と目を細めつつ、「マッチアップする可能性もあるし、『打ちかましてやる』ということも伝えている。まずはその舞台に辿り着けるように、そして先輩の威厳を見せられるようにプレーできたらと思います」と再会を心待ちにしていた。