小学5年生のとき母親が難病・ALSに ヤングケアラーの経験を糧に活動する19歳の青年に迫る
母親の現在の様子について
現在、南光さんの母親はほぼ寝たきりの状態だという。ALSの特徴として、平均2、3年で寝たきりになり、体を動かすことができなくなる。最終的には自分で呼吸をすることも難しく、喉の切開や人口呼吸器の装着が必要になる。 母親も例外ではなく、発病から1年で寝たきりの状態になり気管切開をして呼吸し続けている。ほとんど意思の疎通ができず、母親の意思は介護する側の主観的な判断になっているという。
ヤングケアラーとしてのサポート
”ヤングケアラー”としてどのようなサポートをしていたのだろうか。 南光さんは自身が行なってきた介護は主に3つの種類に分けられると話してくれた。 「1つ目には身体的介護があります。体位変換やマッサージ、おむつ交換など一般的に想像されるような介護をしていました。2つ目はコミュニケーションの支援です。母の意思を尊重したいという思いが自分のなかにあったので、時間をかけて母の意思を確認しながら介護をしていました。3つ目は母や家族を含めた精神的なケアです。介護されている側の母や仕事疲れの父、介護に慣れていない兄などの感情が家のなかで錯綜していました。お互いの精神状態を保つために1日中精神が削られている状態だったと思います」 そのなかでも1番大変だったことは“母親との意思の疎通”だったという。 「何を言っているのか読み取ることが難しかったです。ALSと併発されやすい感情失禁という症状(感情を抑制できず、まったく関係のない感情が出てきたり、小さい感情が爆発したりすることもある)があり、家のなかの空気に波がありました。母の感情が昂ると筋肉が硬直してしまいケアができず、何を言おうとしているのか読み取れませんでした」 当時、父親は仕事で忙しく、兄も受験期が重なっていたことから当番制にしていたものの、南光さんと手伝いにきてくれていた祖母が主に母親のケアを担当していた。その代わり、家族それぞれの得意分野を生かしたり、祖父母や親戚が料理を持ってきてくれたりと、介護していたときはやはり家族の存在が大きかったと南光さんは話す。 また、友達については「落ち込んでいたときに『お前どうしたー!』と声を掛けてくれて『母が病気になって…』と話したこともありました。学校にいるときに変わらず接してくれたのがありがたかったです」と、周りに支えられていたことについても明かしてくれた。