鹿島アントラーズ史上最高! “化け物”となった下部組織出身選手6人。日本を代表する優れた才能たち
MF:野沢拓也(のざわ・たくや) 生年月日:1981年8月12日 在籍期間:2000年2月~2012年2月、2013年1月~2014年8月 通算成績:410試合86得点51アシスト 「ミスター・クライマックス」という異名をもつ野沢拓也は、長く鹿島アントラーズで活躍したMFだ。 ジュニアユースから鹿島に在籍していた野沢は、1999年に2種登録選手としてJリーグデビューを果たす。17歳7ヶ月30日での大抜擢は今なお破られていないクラブ史上最年少記録だ。その後、ブラジルへの短期留学を経て、2000年にトップチームへ正式昇格している。 プロ入りからしばらくは小笠原満男や本山雅志といった強烈な存在もあってなかなか出番を掴めなかった。しかし、大きな転換点となったのが2005シーズンだ。右ウィングとして起用されるようになるとプレータイムが大幅に増加し、一気にレギュラーの座を掴み取った。翌2006シーズンには日本代表にも招集されている。 その後、野沢は2007シーズンより小笠原が付けていた背番号8を継承。それまでどのクラブも成し遂げられなかったJリーグ3連覇に貢献するなど、重みのある番号に恥じない素晴らしいパフォーマンスを発揮した。「ミスター・クライマックス」という異名が付けられたのは、同選手がタイトル争いの激しさが増すシーズン終盤戦、すなわちクライマックスに滅法強いことからである。 最終的に、鹿島では公式戦410試合に出場した。20200年に現役引退を発表したレジェンドは、2022年6月にクラブの発展に貢献した人物に贈られる「アントラーズ功労賞」を受賞している。 鹿島アントラーズ史上最高! “化け物”となった下部組織出身選手(3)まだまだ現役! 最強のワンクラブマン
MF:土居聖真(どい・しょうま) 生年月日:1992年5月21日 在籍期間:2011年2月~ 通算成績:461試合75得点50アシスト 山形県で生まれた土居聖真は、小学校卒業後に鹿島アントラーズのジュニアユースに加入した。同選手はその後ユースチームでのプレーを経て、2011年にトップチームへ昇格。そこから今季まで、14シーズンに渡って鹿島でプレーを続けるワンクラブマンだ。 そんな長く鹿島で活躍する土居だが、トップチームデビュー後すぐに定位置を掴めたわけではない。同期の柴崎岳とは異なり、在籍3年目となる2013シーズン後半戦からようやくレギュラーに定着した。2015年には小笠原満男や野沢拓也が付けた背番号8を継承している。 2016シーズンにはJ1制覇に大きく貢献し、翌2017年には清武弘嗣の離脱に伴う追加招集という形ではあったものの、日本代表初選出を果たした。主にトップ下やサイドで起用されているが、センターフォワードやサイドバックとしてもプレーできる。高いサッカーIQとスキルを武器に、様々なポジションで輝きを放ってきた。 先日32歳の誕生日を迎えた土居は、クラブの歴代出場試合数ランキングで5位にランクインしている。これは現役選手の中ではトップの記録だ。 今季はここまでリーグ戦9試合に出場。そのうち先発出場は3試合と出場時間は限られているが、このバンディエラがチームに欠かせない存在であることは間違いない。土居は愛する鹿島での出場記録をどこまで伸ばしていけるだろうか。