負債2000万円で廃業「地獄を味わった」借金返済、母の介護…YouTuber・ロコリ(73)「笑い話に変えればいいんだ」と始めたコラムが転機に
症状が進んでからはトイレとお風呂の区別がつかなくなり、そのうち素っ裸になってからトイレに行くようになりました。トイレに行きたくなってから脱ぎ始めるから間に合わず、リビングで排泄してしまい掃除をするというのはしょっちゅうでした。 ── 介護がつらいとき…どうされていたのですか? ロコリさん:ケアマネージャーの仕事をしている友達がいたので、よく相談に乗ってもらっていました。ストレスがたまると夜の公園でひとり、音楽を聴きながら踊ったり、ヘッドホンをつけてリズムに乗りながらウォーキングしたりしていました。あとは泣くとストレスが発散できるので、好きな曲を聞いて涙を流すこともよくありました。特にマルーン5の『メモリーズ』という曲は歌詞が自分の心情に重なり、聞くだけで涙があふれてしまいます。
── 介護のことは、認知症患者の家族のための会報誌にコラムとして寄稿されていたとか。 ロコリさん:母の認知症がまだ軽い頃は、北九州市の会報誌に母との出来事を文章で書いていたこともありました。というのも、母とのエピソードを職場の人に話すとよく笑われていたんですね。最初は「こっちは大変なのに」とムカッときたけど、そのうち「笑いに変えればいいんだ」と思えるようになって。深刻になって話を聞かれるよりも、笑いながら聞かれたほうがこっちも重くならずにすむな、ということに気がついたんです。なので、笑い話になるようなものを文章にして会報誌に載せてもらっていました。
その経験が生きたのか、いま西日本新聞に連載エッセイを書かせてもらっています。テーマは自由なので、介護のこと、ファッションのこと…いろいろですが、基本的にはクスっと笑えるようなものを書くようにしています。 書くこととデジタルは昔から好きで、アメブロが始まって1年後くらいにブログを書いていたこともあります。当時はシニアブロガーなんて、探しても見つかりませんでした。失敗もあったけれど、とにかくやってみるといういろんな経験が、YouTubeや現在の活動につながっていると感じます。