負債2000万円で廃業「地獄を味わった」借金返済、母の介護…YouTuber・ロコリ(73)「笑い話に変えればいいんだ」と始めたコラムが転機に
ロコリさん:目の前が真っ暗になりました。怖いし、暗いし…人生終わったと思いましたね。在庫や買掛金を抱えてしまい、家賃を払えず、内装費のローンも返済できず、気がついたら負債が2000万円まで膨れあがっていたんです。
■「人生は絶対なんとかなる」という一心で借金返済 ── その後、アパレルや百貨店の販売員をしながら借金返済をされたそうですね。当時いちばん苦労されたことは何ですか? ロコリさん:借金を返すには働くしかないのですが、体力がないので苦労しました。百貨店ではいわゆる“際物(きわもの)売り場”といって、季節商品やイベント商品を扱う売り場を転々としていました。そういった売り場を担当するとギャラがよかったからです。当時、日給1万円くらいいただけましたし、出勤日数も残業も自由。10日働いて1日休むくらいのペースでたくさん働いていたのですが、とにかく疲れてしまって。結局、寝込んでしまう日もあったのがもったいなかったですね。
── 大変な状況の中でも前を向いて進み続けていく原動力は何だったのですか? ロコリさん:「それでも人生は絶対になんとかなる」という思いでした。周囲の友達がみんな前向きで「あなただったら大丈夫」「なんとかなるよ」といつも言ってくれたので、それは嬉しかったです。 2000万円の借金は、とにかく必死で、15年から20年くらいでかけて返済しました。最後、30万円を借りていた身近な友達に返せたのが20年後くらいだったと思います。本人はもう返ってこないものだと思っていたみたいですけど。なかには取引先だった会社が倒産してしまって、返す相手がいなくなったところもあり、それは心残りです。
── 借金を返済することになってご家族の反応はどうだったのですか? ロコリさん:母は泣いていましたね…。ただ、私の起業での失敗は悪いことばかりではありませんでした。母は、私の借金のことを涙ながらに友達に話をしていたら「カラオケで発散させようよ」と誘われたらしく、よくカラオケに行っていました。そこでの趣味が高じて、なんとあとでカラオケの先生になったんです。母が72歳の時でした。最終的にはカラオケの教室を3つ持ち、大きなカラオケ大会も主催していました。教室は母が85歳で認知症になるまで10年以上続いていましたし、70代からだって何でもできるという見本になってくれましたね。