振り返る『極悪女王』の時代 1985年、新日本VS全日本の興行戦争、旧UWFの帰還、ブーム絶頂期の長与vsダンプの髪切り戦――
肝心のプロレスにおいても、クラッシュは女子プロレスに革命をもたらした。それまで男と女のプロレスは完全に別物として見られていたのだが、長与がサソリ固めを筆頭に男子プロレスの要素を取り入れるようになり、まだまだ同等に語られることは少なかったものの、一部男性ファンも女子プロに目を向けるようになっていったのである。 また、長与&飛鳥のクラッシュに対抗するヒール軍もブームを支える重要な役割を果たしていた。ダンプ松本率いる極悪同盟がファンの憎悪を買うたびにクラッシュ人気が上昇。極悪びいきの悪役レフェリー・阿部四郎の存在も大きかった。 この年の夏、全女は2大ビッグマッチを開催した。8・22日本武道館と、8・28大阪城ホールだ。武道館はビューティーペアの大ブーム以来、6年ぶりの開催でもあった。メインでは飛鳥がジャガー横田のWWWA世界シングル王座、セミで長与がデビル雅美のオールパシフィック王座に挑戦した。どちらもベルト奪取とはならなかったが、クラッシュありきの武道館だったことは間違いない。 そして、8・28の敗者髪切りマッチは『極悪女王』でもたっぷり描かれる、ドラマのクライマックスだ。試合は長与が敗れ、丸坊主にされる大波乱。大阪城ホールが阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。翌年11月には同所で再戦がおこなわれ長与がリベンジ、ダンプを丸坊主にしてみせたのだが、インパクトとなるとやはり85年の8・28大阪となるだろう。 この年も前年に引き続き、プロレス界にはさまざまな出来事があった。男女の垣根が払われて見られるようになった現在のプロレスと、当時の男子プロレス。この両方を頭に入れながら『極悪女王』を見れば、また違った印象になるのではなかろうか。(文中敬称略)
文・写真/新井宏