タケオキクチ、メンズビギ、日本のメンズファッションを牽引してきた菊池武夫の5の逸話
菊池武夫の逸話④「自身の名前を冠した『タケオキクチ』の立ち上げ。同時にセレクトショップという業態を世に広めた」
1984年、菊池氏は次のステップに進むべくメンズビギを離れることを決意し、ワールドに移籍。そこでついに自身の名前を冠したブランド「タケオキクチ」を発足する。ビジネス面はワールドに任せる形で、菊池氏は制作に専念し、服のデザインだけでなく服を取り巻くさまざまなものを巻き込んだデザイン活動をワールドとともに模索。そこで実現したのが、1986年にオープンした西麻布のTKビルディングだ。タケオキクチとして手掛ける服だけでなく、自分たちで作れない服は海外のデザイナーから輸入し、ビル内には音楽を聴けるカフェバーやバーバー、ビリヤード場などを併設。当時はセレクトショップという業態はほとんどなく、自身が巻き起こしたDCブランドが全盛であった中で、またも先駆け的な仕事をやってのけた。
自身がプロデュースするTKビルディングにミュージックバーやビリヤード場を入れた菊池氏。音楽もビリヤードも大好きで、自分の好きなものを詰め込んだ形だが、特に音楽は「いつも音の鳴る場所に身を置いていた」と語るほど。音楽が鳴っているところ、人が集まる場所が大好きで、音楽に没入するわけではなく音の鳴る場所の空気感が好きなのだそう。日本人にはないオフテンポのリズム感に惹かれ、特に黒人のジャズに傾倒していた。菊池氏は、音が鳴る場で感じたものから服を生み出しており、タケオキクチの服から音楽性を感じるのは気のせいではないだろう。
タケオキクチは、発足時にまだDCブランドが全盛であったこともあって順調に成長していき、自身のブランド内での展開も次々にスケール化。菊池氏がコンセプトとして掲げる、あるアイテムにはそのアイテムのスペシャリティを、例えばスーツならスーツ、シャツならシャツと、特定のカテゴリを突き詰めたラインを展開していき、後にスーツは「タケオキクチ スーツ」として別ブランド化するなど、精力的に拡大していった。また、ライセンスでの展開も本格化し、ネクタイやベルト、時計などの小物を中心に、タケオキクチブランドとは別のマーケットにも波及。菊池氏自身、これらビジネスモデルは「ブランド成功の集大成である」と語っている。