<119年越しの夢・’24センバツ耐久>軌跡/上 敗戦を力に、一歩ずつ 考え、話し、弱点に向き合った /和歌山
「まずは近畿大会で1勝しよう」。新チームが発足した時から、井原正善監督(39)はその先にあるセンバツを見据えていた。現実的に甲子園出場の可能性が高いと考えた「21世紀枠」を視野に入れた上で掲げた目標だった。3年生の引退後も、1年の秋から背番号1の冷水(しみず)孝輔(2年)らレギュラー7人が残っていた。手応えはあった。 【写真で見る歓喜の瞬間】歴代のセンバツ覇者たち 冷水は「どこと戦ってもきちんと勝負できている感覚があった。勝てなかった試合でも、決して弱くて負けたわけではなかった」と強気で話す。昨夏の選手権和歌山大会は、ベスト8に入った近大新宮と1回戦で対戦。2―6で負けたが、先制された直後に足を絡めた攻撃で1点を取り返すなど、気迫を感じる内容だった。 「どちらかと言えば熱血さよりも、クールなタイプがそろう」「指示がなくてもできる」。そう評価される新チームの主将に、選手たちが選んだのは赤山侑斗(2年)だった。上級生がいる間はレギュラーを奪えず悔しい時期もあったが、その経験を含めた強さに仲間の思いが託された。「甲子園を夢だと思ったことはない。勝ちにこだわってきた」 しかし、新チーム結成当初から、順調だったわけではない。昨年8月にあった京都翔英(京都府宇治市)との練習試合。2イニングで5、6回も失策をした選手がいた。レギュラーとして三塁を守る岩崎悠太(2年)だ。井原監督は翌日、グラウンド整備用の車に岩崎を乗せた。土をならしながら言葉を交わし、ならし終わってからも話し込んだ。「自分でも何か行動しないといけないんちゃう」。そう言われた岩崎は、自由参加の朝練習に打ち込むようになった。 迎えた新人戦。準々決勝まで勝ち進んだが、日高に0―1で敗れた。ここで勝てば県1次予選をパスして2次予選に進むことができ、目標の近畿地区大会にぐっと近付くチャンスだった。力の差がある相手ではなかったが、七回裏の2死三塁の好機であと1本が出なかった。2イニング連続の盗塁失敗も響いた。先発した冷水は「初回に先制を許し、試合の流れが相手にいってしまった。あの日、『自分がしっかりすれば負けることはない』と強く思えた」と振り返る。 入学以来、自分たちには何が足りないか、何をすべきかを考えてきた選手たち。井原監督も「自分たちで『やる』と決めたら、さぼらない子たち」と評価し、時に距離を置きながら見守ってきた。選手19人がそれぞれの弱点と向き合える環境があり、一歩ずつ強くなったチームだった。【安西李姫】 ◇ 1905年の創部以来、春夏通じて初の甲子園出場を決めた耐久。新チームの成長と戦いぶりを追う。