なぜ稲盛和夫は「経営の神様」と呼ばれるようになったのか…稲盛氏が「名刺を忘れた秘書」にかけた意外なひと言
“経営の神様”と呼ばれる稲盛和夫氏はどんな経営者だったのか。約30年間、側近を務めた大田嘉仁さんは「稲盛氏は“常に厳しい姿勢で臨む”というイメージがあるが、優しさも際立っていた。接する社員の多くはその優しさに引かれ、期待に応えようと思うのだ」という――。(第1回) 【この記事の画像を見る】 ※本稿は、大田嘉仁『運命をひらく生き方ノート』(致知出版社)の一部を再編集したものです。 ■“泳げない社員”を背中におぶって泳いだ 稲盛さんは作家のレイモンド・チャンドラーが小説で使っていた「強くなければ生きていけない。優しくなければ生きていく資格がない」という言葉を引用して、優しさ、思いやりの大切さを強調していました。 しかし私たちは、優しいフリはできても、本当に相手のことを思いやり、優しく接することはなかなかできません。なぜなら、相手を思いやるためには、自分だけがよければいいという利己心を払拭し、自己犠牲を払ってでも相手に尽くすことができなければならないからです。 経営者としての稲盛さんは常に厳しい姿勢で臨む強いリーダーというイメージがありますが、私は優しさも際立っていると感じています。 こんなエピソードがあります。京セラの創業間もない頃に、工場近くの琵琶湖にみんなで泳ぎに行ったそうです。 そのときに、泳げない人が一人しょんぼりしていると、稲盛さんは彼を背中におぶって泳いだそうです。その人は稲盛さんの背中の上で、その優しさに感激し、涙を出して泣いてしまったというのです。 子供を背負って泳ぐこともなかなかできないのに、体形が自分と同じような大人を背負って泳ぐのは体力的にもかなりの負担だったでしょう。それを少しも顔にも出さずに泳いでくれたというので、その人は稲盛さんの本当の優しさに触れ、感激して涙を流したのでしょう。 その後、その人は京セラの経営幹部になり、京セラの成長を支えていきました。 ■私が名刺を忘れてもとっさにフォローした 私はこんな光景を見たこともあります。稲盛さんに厳しく叱られたある幹部が落ち込んでいました。稲盛さんはその日の夕方、彼を食事に誘い、私も一緒に行くことになりました。 その幹部は、食事の席でも叱られるのではないかとビクビクしていたのですが、稲盛さんは「ここはうまいぞ」と言うなり、彼に料理を振る舞いました。その優しさの中に「期待しているぞ」という思いが隠れていることが私にも分かりました。 言うまでもありませんが、その人はすぐに元気を取り戻し、活躍していったのです。 私にも、こんな思い出があります。秘書になった最初の頃、稲盛さんが私をある大企業のトップに紹介したときのことです。稲盛さんから「名刺を渡しなさい」と言われたのですが、いくら探しても出てきません。 私は頭の中が真っ白になり、「ありません」と伝えました。すると、稲盛さんは「そうか」と言うと、自分の名刺の稲盛と書いてあるところにボールペンで二重線を引き、大田と書いて、「これを渡しなさい」と言うのです。 稲盛さんは内心、「名刺を忘れるとはなんと出来の悪い秘書なんだ」と怒り、また落胆していたでしょう。しかし、そんな表情はおくびにも出さず、とっさに私の失敗をフォローしてくれたのです。 帰りに謝ると「これからは気をつけなさい」の一言で終わりました。その優しさに私は胸を打たれ、絶対に期待を裏切ってはならないと強く思ったのです。