教師から性暴力、34年後の勝訴 「重い扉」開けた男性の願い
11月になると、Aによる加害はエスカレートする。長時間なじられた後で、「何をしたいか言ってみろ」と問われ、何を答えても許されず、錯乱した頃に誘導される形で「キスしてください」と言わされた。そのことが新たな脅しの材料となり、さらに言いなりにさせられるようになった。 【被告は(略)原告に対して同性間の性的行為(キス、フェラチオ等の行為)を求めるようになった。(略)被告は、中学校という閉鎖社会の中で圧倒的に優位な立場で生徒を支配することができる教員の立場にあり、(略)原告は、被告の求めがあるたびに、被告との同性間の性的行為を、不本意ながらも、反復継続的に繰り返すほかない状態に陥った】
他県の親類宅まで追いかけてきた教師
中学2年生になってすぐ、栗栖さんは登校せず、他県の親類宅へ逃げたことがあった。ところが、その日の午後、Aはその親類宅にまで現れた。自らも学校を抜け、栗栖さんの母親から居場所を聞いて押しかけてきたのだという。 「もう逃げ場はないと絶望しました。死んじゃおうと思ったこともたびたびありました」 被害が最もひどかったこの時期、栗栖さんは職員室で泣きながら実情を訴えたことがある。だが、教頭をはじめ、その場にいた教師は目を丸くするだけでただ黙っていた。Aは他の教師の黙殺をいいことに、栗栖さんへのわいせつ行為を重ねた。
【1989年(平成元年)11月頃に中学校体育館内において被告が原告にわいせつ行為を行った際、昇降口付近で、原告の意思に反して一方的に下着を奪った。その際、被告は、原告に対して『これでおまえは一生俺の言いなりだ。』と言ったり、下着に黒インクの油性マジックで『クリス』と記載したりした】 栗栖さんが3年生になっても担任は変わらずAのまま。わいせつ行為は、2学期の終業式の日にAから「これからは自由にしてやる」と一方的に宣言されるまで続いた。 自身のようなケースは決して珍しくないだろうと、栗栖さんは語る。 「スクールセクハラについて調べるうち、だいたいパターン化されていることを知りました。継続して被害に遭った方には、私のように徹底的な人間性の否定や、誤った刷り込みで教師に支配された人が多いと感じます」 【被告によるスクールセクハラ行為(教員である被告との同性間の性的行為を不本意ながら反復継続せざるを得なかったこと)が原因で、原告は、高校進学後、PTSD、ストレス障害又は適応障害などに似た精神の病的症状を呈するようになった】 中学入学直後は「積極的」な性格だったはずの栗栖さんは、3年間の性暴力を経て、対人関係をうまく構築できなくなっていた。高校も大学も地元の学校は精神的につらくなって退学、どちらも遠方の学校に入り直した。大学を卒業し、資格試験の勉強をしていた25歳のときには、精神科への通院を要するほど精神状態が悪化した。 「中学時代の記憶がよみがえってきて、常に他人に責められているような感覚に陥りました。今思うとAに洗脳されていたのだと思います。お前はおれがいないと何もできないと刷り込まれていたので、何かあるたび、やっぱり自分はダメだという思考にはまり込んでしまう。逆にAが良い先生だったのだと受け入れて生きていくしかないのかな、と葛藤したことさえありました」