お行儀のよいオフィス街へ変身を遂げる渋谷に取り残された人たち
今の50代から団塊世代くらいまでの人たちにとって、渋谷の街は青春の思い出多い、懐かしい場所として記憶に残っているだろう。 【写真】この記事の写真を見る(2枚) だが現在の渋谷に赴くと、まず駅ナカから迷子になること必定だ。渋谷駅は今大改造の真っ最中で、駅構内のいたるところで工事が行われ、どの通路を通っていけば、どの場所に出られるのか、皆目見当がつかず立ち往生する中高年の姿が目立つ。 若い頃の記憶などまったく役にたたないどころか、駅を出た彼らの目に映るのはどこか異国のような風景になっているのだ。
渋谷駅を中心に商業街として発展
渋谷は「谷底の街」と言われるように、北は代々木、西は駒場、南は恵比寿、そして東は青山からすべて坂を下ってきた谷底にある街で、真ん中にある渋谷駅を中心に商業街として発展してきた歴史がある。この街の発展を牽引してきたのは、東急東横線の始発駅渋谷を抱える東急電鉄(現東急)だった。1950年代には東急会館、東急文化会館をオープン。東急百貨店や東急東横店の買い物客を相手にした文化事業などに注力した街づくりを行ってきた。70年代に入ると西武系のパルコをはじめ、道玄坂下にはSHIBUYA109がオープン。渋谷は一躍最先端ファッションの街として脚光を浴びた。多くの中高年が渋谷を想うのは、こうしたファッションと飲食の街というイメージだろう。特に大学生が集まる街だった渋谷は、常に若者が行き交い、最先端の流行を感じることのできるお洒落な街だったのである。 80年代以降になると、街の主役は大学生から高校生にとって代わられる。渋谷近辺の有名校に通う女子高生たちがカジュアルファッションに身を包んだ渋カジ族を皮切りに、街は徐々に荒れ始め、チーマーといった不良グループに席巻されるようになる。現在NHKの連続テレビ小説で話題のギャルが闊歩した時代だ。渋谷センター街には不良少年少女が屯するようになり、治安の悪化も叫ばれ始めたのがこの時代だ。
渋谷が変貌を始めたのは2000年
そんな渋谷が変貌を始めたのは、2000年4月にオープンした渋谷マークシティからだと言われる。この東西に細長い建物の竣工によって東京メトロ銀座線やJR線から一歩も外に出ることなく、道玄坂上までアクセスができるようになったことは坂の多い街にとって、画期的な改造だった。 マークシティに続いて誕生したのがセルリアンタワー東急ホテルである。それまで渋谷はホテル過疎エリアと言われていたが、マークシティ内の渋谷エクセルホテル東急に加えて高級ホテルが続々と完成したことは渋谷の街にあらたな彩を添えることとなった。さらに東口では東急文化会館を取り壊し、2012年4月にオフィスと商業施設の複合ビル、渋谷ヒカリエが誕生する。高層ビルの無かった渋谷駅前に忽然と聳え立ったヒカリエは渋谷の未来を予感させるに十分なインパクトのある建物だった。