能登半島地震から11カ月たってようやく仮設住宅に入居始まる…地震と豪雨の二重被災に見舞われたさいはての街「珠洲・大谷町」に残る人、出ていく人、それぞれの思い
能登半島を襲った「能登半島地震」から1年。これまでも何度も大きな地震に見舞われてきた最果ての街、珠洲市の大谷町は、地震に加え豪雨にも襲われ仮設住宅の完成は地震から11カ月たった12月にまでずれ込んだ。町を離れる人、残る人、それぞれの思いを追う。 【画像】珠洲市大谷町
ふるさとに残る選択、離れる選択
2024年12月2日。石川県珠洲市大谷町では、奥能登豪雨の影響で完成が遅れていた仮設住宅への入居が始まった。 大谷町の住民: 8月から我慢我慢我慢我慢だったから。やっとたどり着いたかなって感じです。 2024年の能登半島地震の発生から11カ月でようやく手に入れた仮設の「我が家」だ。 大谷地区は元日の地震で大規模な土砂崩れが発生し、道路が寸断。店も病院もない場所に住民たちは取り残された。 1月28日に知事が視察に訪れた日。避難所の本部長を務めていた川端孝さんは、「電気はまだ来ていない。この校舎だけは発電車でずっと」と馳知事に訴えた。これに対し馳知事は、「順次、要望にお応えしていきますので。」その時、大谷小中学校の当時の校長は知事に「本当にいい地域です。保護者も地域も子どもたちも本当にいいです。私はこの学校に誇りを感じていますが、今のままだと子どもたちも保護者もここに住めないんです。」と訴えると、馳知事は「いつでも帰ってこれるようにするのが私の仕事ですから」と答えていた。 しかし…5月になっても通学路にはみ出たままのがれき。地区唯一のスーパーは廃業した。断水の解消も仮設住宅の建設も一向に進まず、子育て世帯の多くは大谷町から出て行かざるを得なかった。
「子どもたちのため…」金沢への移住を決断
大谷で農業を営んでいた後谷真弘さんもその1人だ。自宅を失い、11日間に及ぶ孤立生活で子どもが体調を崩したこともあり、金沢への移住を決断した。 後谷さん: 大谷にいようかなという思いは最初から持っていたけど、3月になっても仮設住宅ができなくて…。子どもが受験生なので先のことを考えたら金沢に行くしかなかった。 珠洲市が2024年夏に行った意識調査では、市の外に避難した65世帯のうち、大谷地区に戻りたいと答えたのはおよそ半数にとどまった。市は子育て世帯を呼び戻すため自宅再建の費用を最大300万円助成する制度を作ったが…。後谷さんは、その額だけでは家が建つわけでもなく、子どもが高校に行って、金沢の学校に行ってしまったらもう珠洲には戻れないと肩を落とす。 避難した人たちになぜ珠洲に戻ってこないのか聞くと、「再び地震や津波が起きることが心配」「町の将来性が期待できない」「買い物や生活に不便」などの理由があがっていた。