能登半島地震から11カ月たってようやく仮設住宅に入居始まる…地震と豪雨の二重被災に見舞われたさいはての街「珠洲・大谷町」に残る人、出ていく人、それぞれの思い
大谷小中学校に残った児童生徒は5人に…
大谷小中学校に残った児童生徒は3世帯5人。そのうちの1世帯が村上家だ。村上ゆりさんに案内してもらった。 村上ゆりさん: いつもここで食べて隣で寝てて、ここが子ども部屋で。 2年前にカナダから移住した村上家。能登半島地震で自宅は大きく傾き、住むことが出来なくなった。 村上ゆりさん: 最初はどうしようと思った。家がなくなったからこれからどうするんだろうというのがあったけど、離れれば離れるほどあそこに戻りたいというのがあって。 村上さんは、実家がある神奈川県に一旦避難した後、家族で大谷へ戻った。同じ集落で空き家になっていた家を借り、直しながら暮らしている。アメティスさんは、「学校に戻りたかったというより、東京の学校に行きたくなかった」と、大谷に戻ってきた理由を話す。
大谷に残った子どもたちの遊び場は“学校の避難所”
そんな子どもたちの遊び場の1つが学校の避難所だ。自宅を失った人たちが一時帰宅する時の宿泊所でもあり、この1年の間に誰もが集う場所になっていた。 この日、アジサイを飾る女性がいた。避難所の川端本部長が「こんな時期でもアジサイあるがか?」と聞くと、アジサイを飾っていた女性は、こう答えていた 女性: 咲きたい。終わっても終わっても咲きたいの。 川端さん: 人間の人生と一緒やね。終わっても終わっても咲き続けにゃあ。 その避難所も、2024年いっぱいでの閉鎖が決まった。 こうした中、開かれた会議… 会議の様子: 学校(避難所)来週、再来週くらいから終わりになるんですよね?意味もなく人と顔を合わせる場所がなくなってしまう。 村上さんは今、仲間とともに避難所に変わるコミュニティの拠点を作ろうと考えている。買い物や宿泊ができて、ふるさとを離れた人たちがいつでも戻ってこられる場所だ。「住民や知り合いが帰ってきてここ泊まれるよっていうことであれば、やっぱり戻ってきたり関係人口が増えてくるんじゃないかな。」と話す村上さんに、別のメンバーが「一番は元居た人が戻ってきてくれることだけどね」と応じると、村上さんは…「もちろんね!」と話していた。大谷地区の丸山区長会長は、「若い人たちは気持ちが高い。できる時間を見つけてはやってくれるので、そういう方がいるから助かってるね」と目を細める。
避難所は震災1年を前に閉鎖…“みんなが戻れる場所”を作りたい
村上アメティスさん: 地域の方々もみんなで文化祭を楽しみましょう! この日は大谷小中学校の文化祭。会場には金沢に移住した後谷さん一家の姿もあった。「顔つきが違うんですよね、ほんと楽しそうで。こんなに楽しいの最近はなかなか見れないので。」と話す後谷さん。住むことはできなくても、後谷さんは、定期的に大谷地区に通い支援物資を届けている。 後谷さん: 雪で孤立するときがでてくるんですよ。その時に備えてちょっとでも食べ物と水を集め ている状況で。そのくらいしかできないので。 住み続ける人、離れざるを得なかった人…。それぞれの立場でふるさとを想う、珠洲市大谷地区の今だ。 (石川テレビ)
石川テレビ