「ツイッター離れ」やイーロン・マスク批判では解決しない…SNSが「怒り」と「対立」を引き起こす“根本的”な原因
「怒り」を原動力にするツイッター
――ソーシャルメディアでは、自分と同じ側の意見を持つインフルエンサーが相手側の意見を取捨選択して極端な意見や軽率な意見だけを取り出して紹介する、といった構図もあります。 津田教授:そのような手法は「セレクティブ・エネミー」と呼ばれます。 セレクティブ・エネミーは、二つの方向に「怒り」を発生させます。一つは「こんなにロクでもないことを言っているやつらがいるんだ、許せない」という怒りです。もう一つは「自分たちの意見が捻じ曲げて紹介されている」という怒りです。 ツイッターのようなソーシャルメディアは「怒り」を原動力にしています。たとえば、人々が政治的な話題についてリツイートする原動力は「怒り」である、という研究もあります。そして、怒りを引き起こすことがプラットフォーム側にとって商業的な利益になっているのです。 したがって、ソーシャルメディア上での対立は自然に発生しているとは限らず、プラットフォームによって誘導されているという面もあるでしょう。
「政治に参加したい」という欲求はどうなるか
――ソーシャルメディアは民主主義にとって有害かもしれません。しかし、ツイッターを通じて、政治に関する意見を社会に対して発信する経験を初めてした、という人はかなり多いように思えます。 津田教授:ソーシャルメディアは、多くの人々が持つ「政治に参加したい」という欲求を満たすツールになっています。 メディア史研究者の佐藤卓己さんは「ファシスト的公共性」という議論をしています。市民的公共圏には財産や教養といったハードルの高い「入場資格」が存在しますが、ファシズム的な政治活動の入場資格は「人種」や「国籍」であるため、そこに所属する人である限りにおいてだれでもすぐに参加できます。 ナチスは当時の人々が持っていた「政治に参加したい」という欲求を救い上げることで躍進しました。佐藤さんがよく用いるフレーズを借用するなら、ヒトラーは大衆に「黙れ」と言ったのではなく、「叫べ」と言いました。人々が持つ「自分の意見を言いたい」という欲求をうまく誘導したのです。 「政治に参加したい」という人々の欲求にどう対処するか、というのは現代の民主主義にとっても課題になっています。この観点から考えると、ソーシャルメディアが欲求の「ガス抜き」として機能している側面はあるでしょう。