「ツイッター離れ」やイーロン・マスク批判では解決しない…SNSが「怒り」と「対立」を引き起こす“根本的”な原因
SNSで民主主義が成立しない理由
――民主主義では、市民たちがそれぞれに自立して考えて自分の意見を持ったうえで、異なる意見を持つ相手と議論・対話を行い主張をすり合わせることが大切だとされています。 津田教授:そういった民主主義的な対話が成立する状況は、実は、非常に限定されています。 民主主義的な対話を重視する論者の代表が、「市民的公共圏」について論じたユルゲン・ハーバーマスです(ドイツの哲学者。理性的なコミュニケーションの役割を重視する著作を多く発表している)。 しかし、ハーバーマスの議論は「ブルジョワ的」だとも言われてきました。政治的な事柄についてきちんと討議できるのは、教養と財産を持つ市民に限られてしまうためです。 実際のところ、ハーバーマスが言うところの「公共圏」の理想が実現した社会はこれまでになかったでしょう。現実の民主主義は「対話」というよりも、さまざまな利害やイデオロギーの衝突と妥協、あるいは多くの人びとの無関心のなかで機能しているからです。したがって、民主主義社会でも個々の市民はある意味で隔離されてきたのであり、異なる意見を持つ相手と直接に対面する必要はなかったわけです。 民主主義が大事だとは言っても、普段から攻撃的な言論に触れないほうが人々は心穏やかに暮らすことができる、という矛盾を考えてしまいますね。 ――建設的な対話や議論を成立させるために必要なことはなんでしょうか。 津田教授:民主主義的な対話を成立させようとするなら「議論の場」というものが重要になってきます。 たとえば研究者が集まる学会には「司会」が存在し、万が一、人格攻撃が始まったら制止するなどの対応をすることで、議論は成立します。 また、建設的な議論を行うためには、互いに「相手の意見をちゃんと聞こう」という態度を持つことが必要になります。しかし、ソーシャルメディアのユーザーたちがそういった態度を持っているとは限りません。 むしろ、自分と対立する意見を目にしても、その意見をきちんと“理解”しようとしないことが大半です。相手がなぜそういった意見を主張しているのか、背景にある論理はなにかということまで考えず、単純化させた解釈をしたうえで「これはダメな意見だ」と切り捨ててしまうのです。 もちろん、民主主義的な対話が重要だとは思いますよ。しかし、公共的な議論を成立させるためには、さまざまな仕組みや工夫が必要になります。少なくともソーシャルメディアでそういった議論を成立させることについては「無理だろうな」と諦めています。