「言葉にできない思いを抱えている人がいる」――遺族と向き合った研究者が語る、震災から10年 #あれから私は
東日本大震災から10年。津波や原発事故の被災者は、過酷な体験や自らの内面をどのように言葉で表してきたのか。震災直後から被災地で聞き取りを続ける関西学院大学の金菱清教授(45)と、“震災文芸誌”を編纂する文芸評論家の藤田直哉氏(37)に対談形式で語ってもらった。(ライター・角田奈穂子/Yahoo!ニュース 特集編集部)
救済に罪悪感を抱く遺族
金菱氏は震災当時、東北学院大学の准教授で宮城県仙台市に住んでいた。直後からゼミの学生とともにフィールドワークをおこない、被災者への聞き取り、体験や手紙を書き綴ってもらうプロジェクトに取り組んできた。津波の悲惨さ、遺族の喪失感、復興の現実が記録された毎年のレポートからは、血の通った被災地の声が伝わってくる。
藤田氏は東京で震災を経験。その後、福島県や宮城県などの被災地を訪ね歩き、何かに導かれるようにたどり着いたのが、ジャーナリズムや体験記の枠を超え、「文学」を通して語る震災文芸誌『ららほら』の立ち上げだった。
藤田:なぜ市井の人たちの声を集めることが重要だと、金菱さんは考えたのでしょう。 金菱:私は阪神・淡路大震災のとき、阪神間に住んでいました。街の惨状は盛んに報道されましたが、必死に生き延びようとする人々の声は、圧倒的な映像にかき消されていました。3カ月後に入学した大学の災害心理学の授業でも、課題は1964年の新潟地震。なぜ、目の前で苦しむ人の存在が無視されるのか。その疑問から、東日本大震災では被害の大小にかかわらず、被災者が見たまま、感じたままを表現してもらおうと、手記を依頼したのです。
藤田:金菱さんの10年を振り返ると、実際に被災者のお話を伺ってみて、先入観をくつがえされていくことの連続で、それから新しく気づかれたことを中心に研究テーマを決めていますね。 金菱:毎年、探り探りです。長期化は予想していましたが、テーマが亡き人になるとは、まったく考えていませんでした。焦点が定まったのは、被災者71人の手記を『3.11 慟哭の記録』(2012年、新曜社)にまとめたあと、お礼のために執筆者の自宅に伺ったことからです。本を仏前に供えていたり、「本の中で生きているようで」と抱きしめたりする方がいたんです。 藤田:本の中であっても、「生きている」と捉えられたんですね。 金菱:ええ。さらに、家族にも打ち明けにくい孤独を抱いていることが分かってきました。「喪失感や孤独を抱えて生きていくのはつらいから、心の痛みを消してしまいたい。でも、消してしまったら、亡くなってはいるけれど大切な家族を忘れてしまうかもしれない。自分だけが楽になってはいけない。だから前に進めない」という責任感が周囲とのギャップになり、孤独を生み出していたのです。 私は相反する感情のなかに、宗教的な視点とは違う、これまで見過ごされてきた災害における生者と死者の社会的な関係があると感じました。そこで、翌年以降も震災が影響する心のありようを探ることにしたのです。