部活動は何の役に立つのか? 教育ジャーナリストが読み解く慶應高校野球部の教育論(レビュー)
107年ぶりに全国制覇を成し遂げた慶應高校野球部の組織論と教育論に迫った一冊『慶應高校野球部―「まかせる力」が人を育てる―』(新潮社)。 選手たちは野球を通して何を学んだのか? 森林監督の指導法とはどんなものか? 学校現場に造詣の深い教育ジャーナリスト・おおたとしまささんの書評を紹介する。
おおたとしまさ・評「結局のところ、慶應高校の全国優勝は「運」だった」
2023年夏の甲子園。日焼け止めを塗った白い肌に髪をなびかせて、神奈川県代表・慶應義塾高等学校(通称・塾高)の選手が、甲子園から全国のお茶の間に、涼しげな風を届けたのはまだ記憶に新しい。 「エンジョイ・ベースボール」というモットーは、昭和の野球へのアンチテーゼとしても記号的役割を果たした。しかし「昭和vs.令和」のような単純な二項対立では塾高の優勝を説明できない。 徹底した現場取材と関係者へのインタビューから、107年ぶりの全国制覇に不可欠だったピースを一つ一つ明らかにしていく。プラグマティズム的教育論であり、同時に組織論の教科書でもある。 そして結局のところ、塾高の全国優勝が「運」であったことがよくわかる。 第7章「『失敗の機会』を奪わない」が出色だ。この章では、2019年、2020年、2021年、2022年と、全国制覇の直前4年間のそれぞれの年の主将に、当時のチームの状況を事細かに聞いている。 そこでは2023年のチームほどの成果を出すことができなかった原因分析が語られているわけではあるが、この過去の4年と2023年のチームで制度的に大きな差があるわけではない。過去何年にも遡るいくつもの試みが大きなうねりをつくり出す中で、瞬間的にさまざまな条件が重なり合う偶然がなければ、あの優勝はなかったことがわかるのだ。 もちろん過去4年間の主将が2023年の主将に劣るわけではない。むしろ、野球を通して学んだ人生の知恵は、過去4年間の主将のほうが大きかったかもしれない。 それこそが、森林貴彦監督が掲げる「勝利より成長」の真骨頂だ。慶應義塾幼稚舎(小学校)の教諭でもある森林監督は、生徒たちの人間的成長を、指導の目的に据えている。そこがブレない。 「監督のおかげでまとまったとか、監督の言った通りにやったら打てましたとかいう経験って、させてもほとんど意味がないと思っています。『自分たちでやったけど、うまくいかなかった』の方が、意味がある。学校というのはやっぱり、失敗させてあげる場なので」と森林監督。 この構えは、私が取材活動で出会う優れた教育者たちに完全に一致する。NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」にも登場したある数学教員は、「子どもたちは、自分のやり方で試行錯誤しているときにいちばん頭を使って、いちばん伸びるんです」とよく言っている。 スポーツであれ受験であれ、子どもたちの挑戦は、人生の学びのためにある。勝敗という結果は素人にもわかりやすいが、挑戦を通して子どもたちが何を学んでいるのかを感じとり、それを最大化するのがプロの教育者の腕の見せどころ。ときに敗北は最良の教材にさえなる。 ところで私は森林監督と同世代の父親として、2023年塾高ナインが得た運のなかでも特に二つの偶然に注目したい。一つはチームに、元読売ジャイアンツ・清原和博の息子・清原勝児がいたこと。もう一つは森林監督の息子・森林賢人がいたことだ。いずれも優勝時の先発メンバーではないが、本書には彼らの語りも丁寧に記述されている。 日本野球史に名を刻むスーパースターでありながらネガティブな意味でも世の中を騒がせてしまった父親をもつ息子が、世間の注目を痛いほどに感じながら、それでも代打としてグラウンドに立つ健気な勇気を思うとき、私も一人の父親として、こみ上げるものがある。森林監督も一人の父親として感じるところがあったに違いない。 だが一方で当然ながら、監督は息子の賢人をいっさい特別扱いしなかった。塾高には、夏の大会を戦うメンバーを決める「30人切り」という通過点がある。ここでもれた3年生は現役引退を余儀なくされ、監督と1対1で面談したうえで、サポートスタッフに回ることになる。 夏の大会を前にした6月1日、賢人は30人に選ばれなかった。監督と面談し、1年生の指導を担当することになった。帰宅すると父親から「お疲れさん」とひと言だけねぎらいの言葉があり、胸が熱くなったと息子は言う。父親の胸の内を想像するに、このくだりで私はついにこみ上げるものを抑えきれなくなった。 レギュラーが偉くて二軍はダメ。金メダルが偉くて初戦敗退はダメ。合格したひとが偉くて不合格者はダメ。出世したひとが偉くて平社員はダメ。――そんなことがあってたまるか! どこがダメなのか言ってみろ! そんなふうに決め付ける社会のほうがダメなんだ! 心底そう思えるひとたちを、森林監督は教育者として、塾高のグラウンドでも幼稚舎の教室でも、育てているのだと私は思う。 現実社会は競争ばかり。だからこそ子どもたちには、社会に出る前に、勝敗を超えた価値の存在に気づかせてあげなければいけない。その一つの手本が本書にある。 [レビュアー]おおたとしまさ(おおた・としまさ) 1973年東京生まれ。リクルートから独立後、育児誌・教育誌の編集に携わり、育児、教育の現場を取材。近著に『不登校でも学べる』等。 協力:新潮社 新潮社 波 Book Bang編集部 新潮社
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