米で大ヒットの映画「オッペンハイマー」 子孫らが語る原爆開発と投下から得るべき教訓とは(4)
オッペンハイマーは私の祖父と同じく、終戦後すぐにロスアラモスを離れ、プリンストン高等研究所の所長になりました。オッペンハイマーは当然、核政策に関与していましたが、彼が提唱していたのは、核兵器の国際的な管理でした。核兵器のコントロールができず、拡散し続けるのを懸念していました。それが彼の見解でしたが、それにより問題が生じました。共産主義に近づいた過去の経歴によって、いわゆる「赤狩り」の対象になったのです。 映画で描かれていない部分もあります。日本についての描写がないこともそうです。日本、つまり広島と長崎で何が起きたかについて何も触れていません。放射線のダメージについても触れられていません。公平を期して言えば、オッペンハイマーは日本に行きませんでした。映画はオッペンハイマーに関する作品なので、(日本について直接的に描かれていないのは)合理性はあります。ただ映画では、オッペンハイマーが(原爆投下直後に)演説した際、聴衆の皮膚が剥がれ落ちたり、黒焦げの人の体を踏みしめるようなイメージが出てきます。また映画では、私の祖父も含め、医師は登場していません。 映画の影響ですが、原爆使用の倫理的正当性の問題が重く取り上げられていたので、人々にそれを考えさせることになるでしょう。例えば、オッペンハイマーがトルーマン大統領と面会するシーンで、トルーマン大統領が「広島に原爆投下をしたのは私の決断だ」と言うと、オッペンハイマーが「長崎もです」と言う場面があります。これは、我々が原爆を1回だけでなく2回投下した、ということを軽視するべきではないということであり、映画はそのような形で問いを投げかけています。 映画の中で科学者らは、自分たちが何をしているのか、何に参加しているのかという倫理的な問いに直面していました。そして、やがてオッペンハイマー自身も同じ問いに直面するのです。これらのことやオッペンハイマーの苦悩が描かれたことで、核兵器の開発と使用について、より批判的に、かつ慎重に考えるよう促していると思います。